詩篇16編の詩人は冒頭から神さまに助けを求めています。詩人は、問題を抱えていて、助けを必要とする状況に置かれています。しかし、喜びに満たされています。詩篇16編からは喜びがあふれ出ています。
詩人が喜びに満たされているのは、神さまを信頼しているからです。神さまとともに生きることこそがまことの幸いであることを知っているからです。だからこそ、詩人は、単純に助けを求めるだけではなくて、積極的に神さまに身を避けているのです。神さまに身を避けるとは、神さまのみこころに従っていくことです。
詩人は「主を前にしています」と告白しています。同時に、「主が私の右におられる」とも告白しています。
神さまは、私たちの傍らにいて、私たちの力となっていてくださいます。しかし、私たちの方で、傍らにいてくださる神さまの助けをいただかなければ、私たちは自分の力で生きているのと変わりません。神さまとともに生きる歩みとは、どんな時にも傍らにいてくださる神さまを信頼して、神さまに自分を委ねて従っていくことだからです。その献身と従順が、「主を前にしています」という詩人の告白です。
インマヌエル、神さまがともにいてくださる恵みは、神さまに自分を委ねて従っていく中で豊かに味わうことができるのです。
自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。(マタイの福音書8章35節)