詩篇13編は「いつまでですか」という問いかけの言葉から始まります。詩人は、「いつまでですか」と繰り返しながら、神さまの御前で嘆いています。詩人の嘆きは深刻です。しかし、最後は喜びで終わっています。
詩人の嘆きが喜びに変わった理由は、詩篇の中では何も示されていません。状況は何も変わっていないのです。にもかかわらず、詩人は神さまの救いを喜び歌っています。
ある先生は、詩篇13編において、嘆きから喜びへと橋渡しをしているのは、祈りだと言われました。祈りそのものが嘆きから喜びへの橋渡しをしているのです。祈り続ける中で、詩人の心の中は嘆きから喜びへと変えられたのです。
詩人は大いに嘆きました。神さまの御前で嘆きました。そして、神さまの御前で嘆くなら、それは立派な祈りです。嘆くことは不信仰なのではありません。私たちは神さまの御前で嘆くことができるのです。神さまの御前で嘆いて良いのです。
神さまご自身がご自分の御前で嘆くように私たちを招いていてくださいます。そして、御前に嘆く私たちとともにいてくださいます。私たちは、神さまの御前で嘆きながら、神さまがともにいてくださる救いの恵みを味わっているのです。
嘆くことの多い日々を過ごす私たちです。嘆くことがあれば、神さまの御前で思う存分に嘆きたいと思います。そして、嘆く私たちとともにいてくださる神さまの救いを喜びましょう。
私は主の前に心を注ぎ出していたのです。(サムエル記第一1章15節)