詩篇の祈りに導かれて(12)(週報2024年12月1日号)

 詩篇12編は救いを求める祈りの言葉から始まります。背景には、「敬虔な人」、「誠実な人」がいなくなり、反対に、「むなしいこと」を話し、「へつらいの唇と 二心」で話す人々が横行する状況があります。彼らは、言葉一つで何でもできる、神さまにすらも文句を言わせない、そんな自信に満ちあふれています。詩人が神さまに救いを求めるのは、そんな彼らによって、「踏みにじられ」」、「嘆く」人々がいるからです。詩人本人もその中に含まれていると思います。

 詩人は祈りの中で神さまご自身の言葉を用います。救いを約束していてくださる神さまの言葉です。詩人にとっては神さまの言葉だけが頼りです。

 詩人が神さまの言葉を頼りとするのは、藁をもすがるような思いからではありません。神さまの言葉は確かで信頼できるからです。

 私たちの言葉は、「へつらいの唇」で話す人々のように、不純物だらけであるかも知れません。しかし、神さまの言葉はそうではありません。神さまの言葉は「土の炉で七度試され 純化された銀」のように混じり気がありません。

 神さまはご自分の言葉を必ず行われる方です。神さまの言葉はいつも確かで信頼できるのです。

 確かでない言葉、信頼できない言葉が氾濫する時代の中で、神さまはご自分の確かな言葉によって私たちを導いていてくださいます。神さまの確かな言葉を信頼して生きる私たちでありたいと思います。

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネの福音書14章6節)


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