説教音声・要旨 2024年11月24日(日)

  • 主日礼拝説教:2024年11月24日(日)
  • 聖書箇所:コリント人への手紙第一1章4~9節
  • 説教題:神の交わりに招かれる

暗唱聖句

  神は真実です。

コリント人への手紙第一1章9節a

説教音声

説教要旨

キリスト者は感謝する

 3節で「恵みと平安」を祈ったパウロは、コリントに生きるキリスト者に向かってあなたがたのことを「いつも私の神に感謝」していると語ります。相手のために恵みを平安を祈ると、おのずと感謝が生まれてきます。感謝すべきことがあるので恵みを平安を祈るのではなく、まず恵みと平安を祈る。そうすると感謝が生まれてくる。
 パウロは何に感謝しているのか。どういった点に感謝しているのか。

・神の恵み、すなわち信仰が与えられたこと
・ことばと知識が豊かにされたこと
・証しが確かなものとなったこと
・賜物にも欠けることがないこと
・再臨を待望していること

 これらを「いつも私の神に感謝」しているのです。

 私たちは感謝しているだろうか。教会に集う兄弟姉妹のことを感謝しているだろうか。
感謝しているとしたらいったい何に感謝しているだろうか。その人が信仰に生きていることを感謝しているだろうか。
 コリント教会の信徒の「ことば」「知識」「賜物」を感謝しているといいます。しかしこれらはコリントの教会に問題を生み出していたものです。ことば、すなわち預言、異言が豊かである。それが教会に混乱を起こしていた。知識が豊かである。港町であったコリントには世界の知識、情報が集まっていたことでしょう。教会もその影響を受けていた。それが教会に問題を起こしていた。賜物が豊かである。さまざまな能力に溢れた人材が集まったことでしょう。しかしそれが教会の問題となっていた。秩序が乱されていた。まさにことば、知識、賜物は、困ったものだったのです。しかしパウロは、まずはそれらを感謝します。
 お世辞も、相手のこころを開くための方便でもありません。真実に感謝しています。私たちはそういう感謝をささげているだろうか。相手の困った部分を指摘し指導することばかりではないだろうか。まずは感謝をささげることから始めなければならないのではないか。そうでなければ、通じる言葉も通じないのではないか。

再臨の主が今ともにいて支えていてくださる

 主は「私たちの主イエス・キリストの日」、すなわち再臨の日に「責められるところがない者」としてくださいます。救われるとは、再臨の日に責められるところがない者となっていく歩みです。救いには目的があるのです。今私の中に、主に責められなければならない部分はないだろうか。聖さに成長しているだろうか。聖化されているだろうか。愛に生きているだろうか。それとも文句ばかりを言っているだろうか。感謝どころか不平不満ばかりが口に上ってはいないだろうか。救われた日を思い起こしつつ、その日から今日までどのような歩みをしてきたであろうか。少しでも聖い者、愛の者と造り替えられたであろうか。
 主は「最後まで堅く保って」下さいます。再び来られる主は、今このとき私たちとともにいて下さり、堅く保ってくださる。支えていてくださる。主は主の再臨を待ち望む者に無関心ではおられない。主は私たちを支えたくて仕方がないとの熱い思いをもってともにいてくださるのです。
 ともにいてくださる主、そして再び来てくださる主。同じ主がそのように私を導いてくださる。真実な主はそのように私たちを導いてくださいます。

救われるとは神との交わりに入れられること

  「神は真実です」。すべてキリスト者はこの真実な神さまに召され、神さまの真実に支えられて生かされています。私はときに不真実かもしれません。しかし主は常に変わらず真実である。その真実な神さまが私を召してくださった。呼び出してくださった。そうして「神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わり」に入れて下さいました。
 救われる、ということは、この主イエス・キリストとの交わりに招き入れられることです。主にある者はすべてのこの交わりの中に生かされています。
 私たちは生まれながらの罪びとであり、自らの力によっては神さまを知ることができません。ただ神の御子イエス・キリストだけが神を説き明かしてくださいました。神との交わり、それは主イエス・キリストとの交わりです。主イエス・キリストとの交わりの中にあるならば、それは神との交わりの中に生きていることなのです。
 「主イエス・キリスト」。イエス・キリストは私の主である、との信仰告白が明らかにされています。救われるということは、イエス・キリストを「私の主」とすることです。私たちは、このお方を主としているだろうか。主人として仕えているだろうか。それとも相変わらず私が主となっているのではないだろうか。
 イエス・キリストを主とする信仰生活の深まりは、主イエス・キリストとの交わりにおいて前進します。
 礼拝において私たちは、イエス・キリストこそ私の主です、と告白します。イエスさまからの愛をいただき、またイエスさまを愛します。信仰生活のさまざまな場面において、私が主となろうとする瞬間に、心を静めて、自らを振り返りつつ、イエス・キリストが私の主であることを明らかにします。イエス・キリストが私の主であるとする道を選択します。そうしてイエスさまを愛します。
 私たちの人生の祝福の鍵は、いかにこのお方を主とするかにかかっているのです。

祈り

 主イエス・キリストの父なる神さま。感謝する心を与えて下さい。あなたが再び来られる日に、責められるところのない者としてください。そのために今、片時も離れずに私とともにいて、堅く保っていてくださることを感謝します。あなたを私の主と仰ぎ見る者としてください。

説教20241124-01
説教20241124-02


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