詩篇の祈りに導かれて(11)(週報2024年11月24日号)

 詩篇11編の詩人は「鳥のように 自分の山に飛んで行け」と勧められています。「自分の山に飛んで行け」というのは、逃げること、身を避けることです。「自分の山」に身を避けることが勧められているのは、「悪者ども」が詩人を狙っているからです。そして、より根本的な問題は「拠り所」が壊されていることです。「拠り所」は神さまご自身であり、神さまご自身が軽んじられているのです。

 詩人は「主に私は身を避ける」と宣言しています。詩人は、天にある聖なる宮の王座に座して、すべてを見通しておられる神さまの御顔を仰ぎ見ていたからです。詩人は、天の王座に座して、すべてを見通しておられる神さまの御顔を仰ぎ見ながら、神さまを「拠り所」としているのです。

 人には「拠り所」が必要です。何の「拠り所」も必要がないほどに、私たちは強くありません。

 人が考える「拠り所」は必ず崩れます。どんなに強く見える「拠り所」も、どんなに魅力的な「拠り所」も、同じです。しかし、天にある「拠り所」は決して崩れることがありません。神さまは決して崩れることのない「拠り所」です。

 神さまは私たちの「拠り所」となっていてくださいます。神さまはご自身に身を避ける私たち一人ひとりとともにいてくださいます。神さまを「拠り所」として生きるところに、まことの平安はあるのです。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。(マタイの福音書11章28節)


投稿日

カテゴリー:

, ,