詩篇の祈りに導かれて(7)(週報2024年10月27日号)

 詩篇7編の詩人は「親しい友」から誤解を受けて責められていたようです。助け出してくれる者はいません。詩人は神さまに自分の無実を訴えながら相応しいさばきを求めています。

 私たちはあくまでも罪人です。神さまの前では「あわれんでください」としか言えない者です。それでも、実際の社会生活においては、何らかの誤解やちょっとした行き違いで、悪者扱いをされてしまうことが起こります。自分が悪くないことを主張することもできず、誤解を解くこともできず、現状を受け入れなければならないことがあります。理不尽で不当な苦しみです。

 詩人は仕返しを計画しているのではありません。神さまに無実を訴えています。自分の気持ちをぶつけています。神さまがふさわしいくさばいてくださる、その信頼を持って、神さまにすべてを委ねています。

 誰よりも理不尽で不当な苦しみを経験されたのは、何の罪もないイエスさまです。イエスさまは自分の潔白を主張できる方でした。しかし、私たちの救いのために、十字架の上で沈黙を貫いてくださいました。

 十字架にかかってくださったイエスさまは私たちが経験するすべての苦しみを知っていてくださいます。そのイエスさまがともにいてくださる恵みを、私たちは祈りを通して味わうことができます。

イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。(へブル人への手紙2章20節)


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