詩篇の祈りに導かれて(6)(週報2024年10月20日号)

 詩篇6編の詩人は衰えています。詩人は長く癒やしを求めてきました。そして、自分の衰えを、神さまの怒りや憤りと関連させて考えています。神さまから懲らしめられていると理解しています。

 大きな苦しみを経験すると、神さまの怒りや憤りを感じることがあるかも知れません。祈っても祈っても解決が与えられないと、神さまから見捨てられたように感じるかも知れません。

 しかし、決してそういうことではないでしょう。私たちの苦しみと神さまの怒りとは何の関係もありません。反対に、神さまは変わることなく私たちを愛していてくださいます。

 詩篇6編は「御怒りで私を責めないでください」、「憤りで私を責めないでください」という訴えから始まります。しかし、最後には「主が私の泣く声を聞かれた」と証しされています。状況はそのままです。しかし、神さまは自分の泣く声を聞いてくださる、その確信を持って、詩人は「聞かれた」と表現しているのです。詩人が「聞かれた」と確信できたのは、神さまの恵みを知っていたからにほかなりません。決して変わることのない神さまの愛の恵みです。

死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ人への手紙8章38〜39節)


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