説教音声・要旨 2024年10月13日(日)

主日礼拝説教:2024年10月13日(日)
聖書箇所:マタイの福音書27章57~66節
説教題:葬られた神

暗唱聖句

たとえ私が天に上っても そこにあなたはおられ 私がよみに床を設けても そこにあなたはおられます。

詩篇139編8節

説教音声

説教要旨

神さまはあなたがどこにいってもともにおられる

 十字架上で死なれたイエスさまは、十字架から降ろされ墓に葬られました。私たちは使徒信条で「主は・・・十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)に降り」と告白します。葬られてくださった神。イエスさまの十字架の死は、完全な死です。葬られてのち行かれたところは、陰府(よみ)、すなわち地獄です。地獄とは、神さまのいないところという意味ですが、そこにイエスさまは行かれました。もはやイエスさまの行くことのできないところは、この世界のどこにもありません。私たちがどこにいようとも、そこにイエスさまはともにいて下さいます。

神さまはその人にしかできない証しの場所を用意してくださる

 この大切な役割を担ったのは、アリマタヤのヨセフ、でした。ヨハネの福音書によると「イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していたアリマタヤのヨセフ」(ヨハネ19章38節)と紹介されています。このマタイの福音書では、そのことに触れず「金持ちであった」と説明されています。他の福音書では、有力な議員で、神の国を待ち望んでいたとあります。またヨセフは自分のための新しい墓を所有していました。
 ヨセフには社会的な立場がありました。それがイエスさまの弟子でありながらも、それを公にすることを躊躇させました。信仰的にはあまり褒められたことではないかもしれません。しかしその社会的な立場がここで、総督ピラトに願い出ること、そして一人の囚人の遺体を引き取ることを可能としたのです。他の弟子たちにはおおよそ不可能なことでした。
 人にはさまざまな立場があり、それに応じて「顔」があります。いついかなる時もまっ直ぐに信仰を表明できる人もいます。しかし社会的な立場が、あるいはそれに重なっての勇気のなさが、自らの信仰を表明することを躊躇する。そういう人もいるでしょう。ヨセフはそういう人だったのです。
 イエスさまは、そのようなヨセフに、証しの場所を用意してくださいました。しかもそれはヨセフにしかできない証しの場所でした。教会にはさまざまな人たちが集います。さまざまであってよいのです。あの人、この人のようにしなければならないと考える必要はありません。あなたにしかできない証しの場所を、イエスさまは用意していてくださいます。

神さまは人間の悪意を祝福の御業に変えてくださる

 「備えの日の翌日」。おそらく安息日のことだと思いますが、その日に祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まり一つの願いをしました。弟子たちがイエスの遺体を運び出し、復活したなどと言いふらしたならば、大変なことになる、どうか番兵を置いてくれ、と。ピラトはその申し出を受け、番兵を置くことを許します。祭司長たちはそれを受けて、墓の入り口を塞ぐようにヨセフによって置かれた石に封印をし、番兵を置きました。
 この祭司長たちの行為は、まもなくイエスさまの復活を証明することに用いられました。番兵がいたおかげで、また石に封印がされていたおかげで、主の復活は歴史において確かなものとなったのです。
 神さまは、人間が悪意をもってなしたことを、ご自身の祝福の御業に変えることのできる全能者です。天と地を創造されたまことの神さまは、今も創造主としてこの世界を、そして私たちをその御手の中におさめていてくださいます。
 私たちはこの世の悪意にいたずらに恐怖する必要がありません。そこにも神さまの祝福の御業がなされることを期待することができるのです。あらゆる事態の中にあって、全能の主を待ち望みましょう。

復活の証人を備えてくださった神さま

 この葬りをじっと見つめている人がいました。「マグダラのマリアともう一人のマリア」です。この二人のマリアは、やがて主の復活の最初の証人となります。
 じっと葬りを見つめていたマリアたちを、主はご自身の復活の証人とされました(28・1)。彼女たちは、ただ絶望と悲しみの中にその葬りを見つめるしかなかったのだと思います。その絶望と悲しみの中に、しかし主へのひたむきな愛をもって墓を見つめていました。伝道の旅を共にした日々を思い返しつつ、埃にまみれた主の衣類を洗濯したことも、激務の中に疲れたイエスさまの身体を案じて食事の準備をしたことも、彼女たちの心を駆け巡ったことでしょう。女性ならではの心の動きがここに遺憾なく発揮されているのだと思います。それが彼女たちをして復活の証人に導きました。
 復活の証人となる。主イエスさまへのひたむきな愛がそうさせたのです。あるいはイエスさまへのその愛に、主ご自身が答えて下さったのだと思います。主への愛に生きたいと思います。信仰とは主イエスさまを愛することです。

祈り

 いかなる時も共にいることを明らかにしてくださる主イエスさま。私たちが、どのようなところにあろうとも、ともにいてくださるあなたを見失うことがないように守ってください。私にしかできない奉仕をあなたは特別にご準備くださっています。どうかあなたへの愛に生きることを、喜びとすることができるように、信仰を与えて下さい。復活の証人としてマリアたちを招いてくださったように、私たちもあなたの復活の証人として信仰に生かしてください。


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