詩篇5編には「悪」を行う者と「正しい者」が出てきます。詩人は、「悪」を行う者が神さまの御前に立てないこと、「正しい者」に神さまの祝福があることを、歌っています。
詩人は、神さまのことを、「悪を喜ぶ神ではなく」と言いながら、「彼らに責めを負わせてください」と訴えています。個人的な復讐を求めてのことではないでしょう。詩人は神さまのふさわしい裁きを求めています。
詩篇5編には詩人の祈りに対する神さまの答えはありません。しかし、聖書全体を見ると、神さまの答えははっきりしています。それはイエス・キリストの十字架の死と復活のみわざです。
神さまは、「悪」を喜ぶ方ではありません。私たちの「悪」に見て見ぬふりをする方ではありません。そして、私たちが「悪」に留まることを喜ぶ方でもありません。
神さまの答えは、御子イエス・キリストが私たちの罪の責めを背負ってくださることでした。神さまご自身が私たちの罪の裁きを受けてくださいました。私たち一人ひとりが自分の罪を赦されて新しく生きるためです。「悪」を行う者とは私たちのことです。
私たちにできることは、神さまの救いを喜び、神さまに身を避けることです。神さまは、そんな私たちを「正しい者」としてくださり、「いつくしみでおおってくださいます」。
幸いなことよ、不法を赦され、罪をおおわれた人たち。幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人。」(ローマ人への手紙4章7~8節)