説教音声・要旨 2024年10月6日(日)

主日礼拝説教:2024年10月6日(日)

聖書箇所:テモテへの手紙第二3章10~17節

説教題:聖書とは

暗唱聖句

聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。

テモテへの手紙第二3章15節b

説教音声

説教要旨

だれから学んだか

 テモテに委ねられたエペソの教会では、「見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者」(5節)たちが、真理に逆らったことを教えて、教会の人々を惑わしていました。パウロは、そんな状況を踏まえながら、テモテに対しては「学んで確信したところにとどまっていなさい」(14節)と命じます。「学んで確信したところ」とはイエス・キリストの真理です。

 パウロは、「学んで確信したところにとどまっていなさい」と命じる理由を、二つ挙げています。一つ目は「自分がだれから学んだかを知って」(15節)いることです。二つ目は「自分が幼いころから聖書に親しんできたことも知っている」(15節)ことです。

 パウロは、第一に、テモテが「だれから学んだか」を強調しています。誰であるかというのは、パウロ自身のことでしょう。他の使徒たちも含まれるかも知れません。いずれにしろ、それは教会の中で認められた人々です。

 パウロは、聖書に親しんでいれば、それで十分だと考えませんでした。なぜなら、「見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者」たちも、聖書を教えていたからです。彼らは、聖書を根拠にして、真理に逆らったことを教え、信仰者たちを惑わしていました。

 「だれから」とは人に注目することです。私たちは、聖書そのものよりも、聖書を教える人に注目することを、警戒することがあるかも知れません。それは、聖書そのものよりも、聖書を解釈して教える人に、より大きな権威を与えてしまうことに対する警戒です。大切な警戒です。

 しかし、その一方で、聖書には解釈の幅があることも理解しておかなければならないでしょう。同じ聖書を根拠にして、意見が対立し、大きな戦争に発展することもあります。真理に逆らったことが教えられることもあります。

 「だれから学んだか」という言葉で示されているのは、聖書そのものの権威よりも、聖書を解釈する人の権威を、上に置こうとすることではありません。パウロは誰よりも聖書そのものを大切にしていました。聖書そのものを大切にするからこそ、その聖書がふさわしく教えられることを大切にしたのです。

キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせる

 パウロは、次に、テモテが何から学んだかを問題にしています。テモテは「幼いころから聖書に親しんで」きました。そして、その聖書について、パウロは「あなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます」(15節)と言っています。聖書が語ることの中心は、「キリスト・イエスに対する信仰による救い」です。

 テモテはずっと前からイエスさまを信じていました。すでに「キリスト・イエスに対する信仰による救い」を受け取っていたはずです。しかし、そのテモテに対して、パウロは改めてイエス・キリストの救いを語っています。そして、パウロが改めてテモテにイエス・キリストの救いを語らなければならなかったのは、テモテもまた、惑わされていたからであることを感じさせられます。テモテもまた、「見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者」たちの真理に逆らった教えによって、「学んで確信したところ」から離れてしまう恐れがあったことを想像します。

 パウロは、最後に、「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」(16節)と語りました。

 「神の霊感による」とは聖書が神さまの言葉であることを示しています。「教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益」であるというのは、聖書を受け取る私たちが不完全な者であることを前提としています。逆に言えば、神さまは、私たちが不完全な者であることを受け入れて、語りかけていてくださるのです。そして、私たちの「キリスト・イエスに対する信仰による救い」を守ってくださいます。

 私たちは完全な者ではありません。完全でないからこそ、すぐに確信が揺らぎます。イエスさまから目を離してしまいます。しかし、神さまは、そんな私たちを愛して、聖書を与えていてくださいます。聖書を通して、イエスさまこそが真理であり、イエスさまにこそ私たちの救いがあることを、教えていてくださいます。そして、弱くて不完全な私たちを救いの完成へと導いてくださいます。

 聖書に親しみながら、信仰をいただいて、いつもイエスさまを見つめていきたいと思います。

祈り

 イエス様こそが真理です。イエス様にこそ私たちの救いがあります。新しい一週間も、聖書を通して、イエスさまの愛を受け取りながら、救いの確信をいただくことができますように。そして、聖書によって、教えられ、戒められ、矯正され、義の訓練を受けて、あなたの良い働きのために整えられますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

2024.10.6 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-01
2024.10.6 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-02


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