主日礼拝説教:2024年9月29日(日)
聖書箇所:テモテへの手紙第二3章1~9節
説教題:敬虔の力
暗唱聖句
このように揺り動かされない御国を受けるのですから、私たちは感謝しようではありませんか。感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神に喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。
ヘブル人への手紙12章28節
説教音声
説教要旨
敬虔の力
パウロは「終わりの日に困難な時代が来る」(1節)と言っています。「終わりの日」というのは、いつか来る未来の時ではなく、イエスさまの到来によって始まっています。「終わりの日」は、天に帰られたイエスさまが、もう一度来られる日を待ち望んで生きる、私たちの時代です。
その「終わりの日」になると、パウロは、人々が、「自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になり」(2節)、「情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり」(3節)、「人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり」(4節)と言っています。何だかとんでもない人々のような感じがしますが、パウロは彼らの「見かけは敬虔」(5節)であると言っています。ただ、敬虔なのは見かけだけで、彼らは「敬虔の力を否定」(5節)しています。
敬虔とは神さまを恐れて生きる信仰者のあり方です。それは、神さまを恐がることではなくて、神さまを神さまとして敬うことです。神さまを心の中心にお迎えして、神さまのご支配を受け入れて、神さまに導かれて生きることです。そして、私たちが神さまを恐れて生きようとするのは、神さまを愛するからであり、神さまを信頼するからです。
神さまは、罪人の私たちを愛して、かけがえのない御子イエス・キリストを私たちに与えてくださいました。私たちは、その愛を知ったからこそ、神さまを愛します。神さまを信頼します。神さまに自分を明け渡して、神さまに導かれて生きるのです。そして、神さまはそんな私たちのうちに働いてくださいます。神さまの力が私たちのうちに働くのです。
敬虔の力とは、私たちが獲得するものではありません。神さまご自身のものです。神さまの力です。神さまが私たちを変えてくださいます。神さまが私たちをととのえてくださいます。そして、その神さまの力を信じて生きるのが、神さまを恐れることであり、敬虔というあり方です。私たちに求められているのは、力を持つことではなくて、反対に、力を手放すことだと言えるでしょう。力を手放して、神さまに取り扱っていただくのです。
パウロが「見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者」と呼んでいる人々は、神さまに自分を委ねることができなかったのだと思います。神さまを信頼して、神さまに取り扱っていただくのではなくて、自分の力で敬虔な姿を身につけようとしていたのでしょう。しかし、それが敬虔の力を否定することにつながったのです。彼らに必要だったのは、神さまを信頼することであり、何よりもまず、神さまの愛を受け取ることでした。信仰者の敬虔な歩みは神さまの愛から始まるのです。
彼らがこれ以上先に進むことはありません
パウロは「見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者」の具体例を挙げています。彼らは「真理に逆らっており」(8節)、女性たちを「たぶらかして」(8節)いました。
真理に逆らった教えは、敬虔を装って、教会の中に入ってきます。それは、大きな影響力を発揮して、教会を荒らします。そして、パウロが言っていた「終わりの日」の「困難」とは、まさにその真理に逆らった教えによって、教会が荒らされることだと言えるでしょう。私たち信仰者の困難とは、真理であるイエスさまから引き離されることです。
ただ、パウロは教会の困難を見据えながらも、落胆や絶望を語っているのではありません。なぜなら、真理に逆らったことを教える人々は、それ以上先に進むことができないからです。神さまが「彼らの愚かさ」(9節)をすべての人の前で明らかにしてくださるからです。
神さまから離れた働きは、どんなに魅力的なものであっても、やがては色あせていきます。どんなに勢いがあっても、どこかで力を失います。しかし、神さまから始まった働きは、そうではありません。神さまの働きは、どんなに小さく見えても、どんなにみすぼらしく見えても、決して途絶えることがありません。なぜなら、神さまは真実な方だからです。
大切なことは、真理であるイエスさまから目を離さないことです。イエスさまこそが私の救い主である、イエスさまが私を導いていてくださる、私たちはそのイエスさまを心の中心にお迎えし続けるのです。イエスさまは、そんな私たちを、困難な時代の中で、最後まで守り支えてくださいます。小さな私たちの歩みを、ご自分の尊い働きに用いてくださいます。
祈り
困難な時代に生きる私たちを、イエスさまが守り支えていてくださいます。いつもイエスさまを見つめていることができますように。イエスさまを信頼して、イエスさまに自分を委ねることができますように。新しい一週間の歩みを導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

