詩篇の祈りに導かれて(3)(2024年9月29日号)

 詩篇3編の詩人は王のような指導者です。ダビデであるかも知れません。そうでないかも知れません。いずれにしろ、詩人は同じ神さまを信じる民に取り囲まれています。そして、「彼には神の救いがない」と言われています。「彼には神の救いがない」という民の言葉は、詩人にとっては、非常に重いものだったでしょう。それでも、詩人の確信は揺らぎませんでした。詩人は神さまの救いを確信していました。「救いは主にあります」。

 ダビデは若い時からたくさんの敵に追われてきました。しかし、神さまが、ダビデの「周りを取り囲む盾」となってくださり、「ダビデの頭を上げる方」となってくださいました。ダビデは、逃亡生活の中で、「神さまから見捨てられている」と思ったのではなく、「声を上げて」神さまを呼び求めることができたのです。神さまだけが避けどころでした。息子のアブサロムに謀反を起こされた時も同じだったことでしょう。

 神さまは私たちの救いです。どんな時にも、私たちの味方でいてくださいます。もちろん、私たちの好き勝手を許してくださるのではありません。しかし、私たちを決して諦める方ではありません。私たちが人から見捨てられるようなことになっても、神さまは私たちをお見捨てになりません。私たちはそんな神さまだけに救いがあることを告白するのです。

天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は、人間に与えられていないからです。(使徒の働き4章12節)


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