説教音声・要旨 2024年9月15日(日)

主日礼拝説教:2024年9月15日(日)

聖書箇所:テモテへの手紙第二2章20~26節

説教題:悔い改めの心

暗唱聖句

反対する人たちを柔和に教え導きなさい。神は、彼らに悔い改めの心を与えて、真理を悟らせてくださるかもしれません。

テモテへの手紙第二2章25節

説教音声

説教要旨

尊いことに用いられる器

 パウロは、「大きな家」(20節)の話を始めました。大きな家とは教会のことです。大きな家には、「金や銀の器」(20節)があり、「木や土の器」(20節)があります。「ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用いられます」(20節)。そして、「尊いことに用いられる器」(21節)については、「聖なるものとされ、主人にとって役に立つもの、あらゆる良い働きに備えられたもの」(21節)と説明されています。パウロの例えはヒメナイやピレトたちの「俗悪な無駄話」(16)を念頭に置いていました。彼らは、真理から外れて、間違ったことを主張し、人々の信仰を覆していました。彼らは「卑しいこと」に用いられていたと言えるでしょう。

 パウロは「だれでもこれらのことから離れて自分自身をきよめるなら、その人は尊いことに用いられる器となります」(21節)と言っています。「これらのこと」とは、卑しいことであり、俗悪な無駄話のことです。神さまを神さまとして恐れない言葉や行動です。「不義」(19節)とも呼ばれています。そして、それらのことから離れて自分自身をきよめるなら、尊いことに用いられる器となることが約束されています。誰もが主人である神さまの役に立つ器になれるのです。

 尊いこと、卑しいこととは、私たちの目で見てのことではありません。私たちが判断することではありません。神さまの目で見てのこと、神さまの基準です。

 神さまは、国籍や年齢や社会的立場が違う私たち、性格や趣味や特技の違う私たち、そんないろいろな私たち一人一人を、尊い器として用いたいと願っていてくださいます。そして、私たちが尊い器として用いられるために求められているのは、卑しいことから、不義から、離れることです。それはイエス・キリストの真理に立ち続けることです。

 私たちは救い主イエス・キリストに目を向け続けます。神の御子であるイエスさまが、私の救いのために、十字架の死と復活のみわざを成し遂げてくださった、真実なイエスさまが私の救いを支えていてくださる、そのイエスさまを救い主として心の中心にお迎えし続けていきます。自分を神さまに明け渡し、神さまのお取り扱いに、自分自身を委ねていくのです。神さまは、そんな私たちを、聖なるものとしてくださり、ご自分の良い働きに備えられたものとしてくださいます。神さまが私たちを尊いことに用いてくださいます。

きよい心で主を呼び求める人たちとともに

 パウロはテモテに「若いときの情欲を避け」(22節)なさいと命じました。私たちは、「若いときの情欲」と聞けば、すぐに性欲をイメージするかも知れません。しかし、パウロの命令が、「義と信仰と愛と平和」(22節)を追い求めること、「愚かで無知な議論」(23節)を避けることにつながっていくことを考えると、「情欲」という言葉で念頭に置かれているのは、議論で相手を打ち負かしたい、相手を説き伏せたい、そんな支配欲のようなものであるのかも知れません。

 ちなみに、22節と23節の「避けなさい」は、ギリシア語の原文では別の言葉が使われています。議論の方の「避ける」は、「辞退する、断る、拒絶する」という意味が出てきます。一方で、情欲の方の「避ける」は、まず「逃げる」という意味が出てきます。

 愚かで無知な議論は向き合って断ることができます。しかし、欲望は向き合って断ることができません。私たちは、欲望と向き合って、欲望をコントロールすることができません。反対にコントロールされてしまいます。欲望は避けることしかできないのです。

 パウロは、避けることと同時に、追い求めることを命じています。追い求めるのは義と信仰と愛と平和です。いずれも神さまからいただくものです。神さまは義と信仰と愛と平和の源です。義と信仰と愛と平和を追い求めるというのは、神さまに目を向けて、神さまに支えられて生きることです。そして、義と信仰と愛と平和を追い求めることこそが、情欲を避ける最善の道です。神さまこそが私たちの避けどころだからです。

 私たちが義と信仰と愛と平和を追い求めるのは、一人でではありません。「きよい心で主を呼び求める人たちとともに」(22節)です。互いに励まし合って、互いに祈り合って、義と信仰と愛と平和を追い求めるのです。義と信仰と愛と平和を追い求めることは、主イエス・キリストのからだである教会の姿そのものです。

 ただ、残念ながら、教会には「反対する人たち」(25節)も出てきます。神さまは、その反対する人たちも愛していてくださいます。私たちは、神さまの愛と働きを期待して、柔和に教え導くばかりです。

祈り

問題ばかりの私たちを忍耐強く導いていてくださる神さまに感謝します。新しい一週間も、神さまに目を向けて歩むことができるように助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

2024.9.15 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-01
2024.9.15 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-02


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