9月に入って、神学読書会と聖書祈り会が始まりました。神学読書会は初めての取り組み、聖書祈り会は久しぶりの取り組みです。
聖書祈り会では詩篇1編を開きました。すでに何度も開かれてきたことと思いますが、改めて詩篇から祈りに導かれていきたいと思いました。詩篇は神さまが私たちのために用意してくださった祈りの言葉です。
さて、詩篇1編は「幸いなことよ」という言葉で始まります。詩篇1編では幸いな人生が歌われています。具体的には「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に着かない」人生です。そして、「主のおしえをよろこびとし、昼も夜もそのおしえをくちずさむ」人生です。
「主のおしえ」とは律法のことです。律法の中心は十戒です。十戒は出エジプトという救いのみわざが前提となっています。イスラエルの民は、神さまに救われて、神さまの民とされて、その上で、十戒を中心とする律法をいただきました。そして、その律法を喜んで口ずさむというのは、神さまの一方的な恵みによる救いを覚えてのことです。「神さま、律法を完璧に行っています。祝福してください」と思いながら、口ずさむのではないでしょう。その反対に、罪人の自分を救い出してくださった神さまの一方的な恵みを覚える人が、恵みの教えである律法を喜ぶのです。
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。(マタイの福音書5章編3節)