主日礼拝説教:2024年9月1日(日)
聖書箇所:テモテへの手紙第二2章14~19節
説教題:自分を神に献げる
暗唱聖句
あなたは務めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい。
テモテへの手紙第二2章15節
説教音声
説教要旨
神の御前で
テモテに任されていたエペソの教会では、「何の益にもならず、聞いている人々を滅ぼすことになる、ことばについての論争」(14節)がなされていたようです。「俗悪な無駄話」(16節)とも表現されています。その中心にはヒメナイやピレトという人々がいました。彼らは真理から外れ、「復活はすでに起こった」(18節)と主張し、人々の信仰を覆していました。テモテは、その「悪性の腫れもの」(17節)のように広がる論争を、止めさせなければなりませんでした。
テモテはパウロから「神の御前で厳かに命じなさい」(14節)と命じられました。神様の御前で命じるのです。特別に「神の御前で」という指定を受けたテモテは、誰よりも自分自身が神様の御前にあることを意識させられたのではないかと思います。
神様の御前で命じるというのは、神様の名前を持ち出して、自分の命令に権威を持たせることではないでしょう。そうではなくて、命じる自分こそが、神様の御前にあるのを覚えることです。自分の言葉の一つ一つを神様が聞いておられる、その神様の御前にあることを覚えながら命じるのです。それは神様の御前にある自分と向き合うことです。命じる資格のない自分、語る資格のない自分、神様の御前にいることのできない罪人の自分、しかし、神様に赦されて受け入れられている自分、そんな自分と向き合うのです。一人の罪人として、神様の御前にあることを覚えるならば、へりくだることしかできないでしょう。そして、へりくだって語る人の言葉は、厳かでありながら、柔和なものなのだと思います。それは、聞く人々にも、自分が神様の御前にあることを気づかせる言葉です。へりくだった、柔和な救い主、イエス・キリストの御前に受け入れられている恵みに気づかされるのです。
神様の御前にあることを覚えることは、信仰生活のあらゆる場面で求められています。すべての信仰者に求められています。信仰生活とは、神様の御前にあることを覚えて生きることそのものと言っても良いでしょう。別の言い方をすれば、神様を恐れることです。そして、私たちが恐れる神様は、誰よりもへりくだった方であり、柔和な方であり、私たちを愛していてくださる方です。私たちはその神様の御前で生きるのです。
自分を神に献げる
「神の御前で厳かに命じなさい」と命じたパウロは、続けて「最善を尽くしなさい」(15節)と命じます。最善を尽くす内容は、自分を神様に献げることです。それは「務めにふさわしいと認められる人として」(15節)です。「務めにふさわしいと認められる人」は、「真理のことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人」(15節)と説明されています。
テモテの務めは「真理のみことばをまっすぐに説き明かす」ことでした。「真理のみことばをまっすぐに説き明かす」ことこそが、テモテの務めでした。他にもいろいろな務めがあったかも知れません。他の務めは疎かになったとしても、「真理のみことばをまっすぐに説き明かす」務めだけは、最善を尽くさなければなりませんでした。それがテモテの務めでした。
テモテが「真理のみことばをまっすぐに説き明かす」務めに最善を尽くさなければならなかったのは、人々の救いのために他なりません。人々の救いのために、テモテは「真理のみことばをまっすぐに説き明かす」務めに最善を尽くさなければならなかったのです。それはテモテを用いようとしておられる神様ご自身の願いです。誰よりも神様ご自身が人々の救いに最善を尽くしておられたのです。真理から外れてしまったヒメナイやピレト、彼らの影響を受けている人々、その一人一人を、神様ご自身が諦めておられませんでした。だからこそ、神様は、テモテを通して、「真理のみことば」がまっすぐに説き明かされることを願われたのです。
とは言っても、テモテの努力が人々の救いを左右するのではありません。私たちの救いは、イエス・キリストの真実にかかっています。私たちを愛するがゆえに、父なる神様の御心に従って、十字架の死と復活の道を歩んでくださった御子イエス・キリスト、そのイエス様が真実な方であるからこそ、私たちの救いは確かなのです。
真実なイエス様が不真実な私たちを愛し続けていてくださいます。真実なイエス様が不真実な私たちの信仰と救いを支えていてくださいます。そして、その真実なイエス様は、まっすぐに説き明かされる「真理のみことば」の中で、お出会いできるのです。
祈り
真実なイエス様の愛に支えられている恵みを覚えて感謝します。新しい一週間も、真理のみことばの中で、真実なイエス様とお出会いすることができますように。イエス様を心の中心にお迎えして生きる者であらせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

