主日礼拝説教:2024年8月18日(日)
聖書箇所:テモテへの手紙第二2章8~13節
説教題:神のことばはつながれない
暗唱聖句
この福音のために私は苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばはつながれていません。
テモテへの手紙第二2章9節
説教音声
説教要旨
神のことばはつながれていません
パウロは「イエス・キリストのことを心に留めていなさい」(8節)と、テモテに命じました。日本語で「イエス・キリストのことを心に留める」と言えば、心のどこかでイエス様のことを思っているぐらいにイメージするかも知れません。しかし、イエス・キリストを心に留めるというのは、心の中心にイエス様をお迎えすることです。イエス様から愛されていることを覚えて、イエス様のご支配を受け入れて、イエス様に導かれて生きることです。それは実に力強い命令です。
パウロがテモテに手紙を書いている時、パウロは犯罪者のように鎖につながれていました。パウロが鎖につながれていることは、多くの信仰者に大きな影響を与えました。テモテはパウロが鎖につながれていることを恥と思うようになりました。もう福音は終わった、もうどうにもならない、テモテは希望を失って、前に進めなくなっていたように思います。しかし、そのテモテに「イエス・キリストのことを心に留めていなさい」と命じたパウロは告白しています。「神のことばはつながれていません」(9節)。素晴らしい信仰告白です。
人を鎖につなぐことはできても、神様の言葉、福音はつなぎ止めておくことができません。ローマ帝国の皇帝のような、絶大な権力者の力でも、同じです。福音は、状況が悪ければ、力を失ってしまうのではありません。福音は生きています。人の力や状況を越えて、福音は前進します。
ちなみに、パウロは、選ばれた人たちが、キリスト・イエスの救いを受け取るために、すべてを耐え忍ぶと言っています。そして、それは、神様の言葉がつながれていないからです。神様の言葉はつながれていない、「ですから」(10節)、すべてのことを耐え忍ぶ、パウロはそう言っているのです。パウロは、自分の努力や忍耐によって、神様の言葉がつながれていないことを証明しようとしているのではありません。反対に、神様の言葉がつながれていないからこそ、パウロはすべてを耐え忍んでいます。神様の言葉はつながれていない、その神様の言葉そのものの力が、パウロの忍耐を生み出しているのです。
神様の言葉は誰にもつなぎ止めておくことができません。神様の言葉には力があります。そして、その神様の言葉の力を証明するのは私たちではありません。私たちが忍耐と努力を重ねて、神様の言葉の力を証明するのではありません。神様の言葉が私たちを動かすのです。神様の言葉が私たちを生かすのです。私たちに求められているのは、その神様の言葉の力、福音そのものの力を信じる信仰です。
テモテは、パウロが鎖につながれている状況を見て、神様の言葉もつながれていると思ってしまいました。そこにテモテの失望と落胆がありました。しかし、鎖につながれたパウロは反対のことを語りました。「神のことばはつながれていません」。テモテには大きな励ましになったことと思います。
キリストは常に真実である
パウロは、当時の教会でよく知られていた讃美歌、信仰告白の言葉を紹介しました。その言葉を「真実」(11節)だと言いました。パウロは、自分たちが歌う賛美の言葉、自分たちが告白する信仰の言葉を、真実だと宣言したのです。しかし、その真実であるはずの言葉の中で告白されているのは、自分たちの不真実です。教会は、その始まりの時から、自分たちが真実ではないと告白してきました。そして、同時に、救い主イエス様の真実を告白してきました。イエス様が真実な方である、そこに、教会は自分たちの救いの根拠を置いてきました。イエス様が真実な方であるからこそ、真実でない私たちは、自分の救いを確信して生きることができるのです。
私たちは真実であることを願います。それは、信仰者であるならば、とても大切なことです。しかし、そうであるにもかかわらず、何よりも大切なことは、私たちが真実になることではないのかも知れません。私たちは、真実であろうとすればするほどに、真実ではない自分と向き合うことになるでしょう。そして、そんな真実ではない自分をいつも支えていてくださる真実なイエス様に気づかされるのです。
大切なことは、真実ではない私たちをいつも支えていてくださる真実なイエス様とお出会いし続けていくことです。私たちの真実ではない、イエス様の真実を告白することです。
祈り
神様の言葉を伝える私たちは世の力の前で無力です。しかし、神様の言葉は誰にもつなぎ止めておくことができません。今日から始まる新しい一週間も、イエス様の死と復活を見つめながら、神様の言葉の力を信じる者であらせてください。神様の言葉の力に動かされて生きる者であらせてください。私たちの小さな歩みを福音の前進のために用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

