改めまして(42)(週報2024年8月18日号)

 神学生は授業を通して専門性を備えた働き人としての土台を固めます。その「専門性」を何よりも強く感じさせられたのは、聖書の原語を学ぶ授業だったように思います。旧約聖書はヘブル語、新約聖書はギリシア語です。特にヘブル語の方は、神学生でもなければ、なかなか学ぶ機会がないかも知れません。

 授業では、文字の書き方と発音からスタートして、文法事項をざっと学びました。暗記すべきことは暗記します。そして、一語一語を文法的に分析しながら、文章全体を読んでいきました。

 私個人の感想ですが、ギリシア語は、難しいながらも、ちょっとだけ面白いと感じました。ヘブル語は最初から最後まで苦手意識を感じました。文字の形、発音、文章が右から左に書かれていること、私にとってはすべてがユニークすぎました。

 原語の学びもわずかばかりのものです。ギリシア語やヘブル語の聖書を見て、すらすらと読めるようになったわけではありません。気になった単語を辞書で調べられるようになった程度です。それでも、教会に遣わされた後に、説教準備をする中で、原語が分かっていなければ、気づかなかった恵みの発見があったりすると、学んだ喜びを感じました。そして、「専門性」の大切さを感じさせられました。十分とは言えないレベルですが、継続して学びながら、それが良い働きにつながっていけば幸いです。

しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを語りなさい。(テトスへの手紙2章1節)


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