主日礼拝説教:2024年8月4日(日)
聖書箇所:テモテへの手紙第二2章1~7節
説教題:キリスト・イエスの立派な兵士
暗唱聖句
キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。
テモテへの手紙第二2章3節
説教音声
説教要旨
強くなりなさい
「アジアにいる人たち」とオネシポロに目を向けたパウロは、改めてテモテに命じます。「キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい」(1節)。
パウロはテモテに「強くなりなさい」と命じます。そして、強くなることについて、「キリスト・イエスにある恵みによって」という説明の言葉を付け加えています。強くなるのはキリスト・イエスにある恵みによってです。
テモテに「強くなりなさい」と命じたパウロは、コリントの教会では「弱々しい」と評価されていました。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ってみると弱々しく、話は大したことはない」(Ⅱコリント10:10)とのことです。使徒であるパウロにとっては、屈辱的な言葉だったかも知れません。しかし、パウロは自分を評価してくれないコリントの教会に対して「私が弱いときにこそ、私は強い」(Ⅱコリント12:10)と告白しました。
パウロは強がって自分の弱さを隠そうとはしませんでした。弱い自分と向き合いました。そして、それがパウロの「強さ」だったと言えるでしょう。本当の強さとは、自分の弱さと向き合って、自分の弱さを受け入れることのできる力です。本当に強い人は、強がって自分の弱さを隠すのではなくて、自分の弱さと向き合って、自分の弱さを受け入れることができるのです。そして、その強さはキリスト・イエスにある恵みによって育まれていくものです。
イエス様は私たちの良い部分を見つけて救いの手を差し伸べてくださったのではありません。イエス様は私たちのすべてを受け止めてくださいました。私たち自身が否定したくなるような、私たちの弱さのすべてを、イエス様はご自分の愛によって包み込んでくださいました。だからこそ、イエス様の前にある私たちは、弱いままでいることができます。無理に強がる必要のない、弱いままの自分でいることができるのです。私たちは、イエス様がすべてを受け止めてくださっている恵みの中で、私たち自身の弱さと向き合っていく強さが育まれていくのです。
キリスト・イエスの立派な兵士
「強くなりなさい」、「委ねなさい」(2節)と命じたパウロは、「私と苦しみをともにしてください」(3節)と願い求めます。それは「キリスト・イエスの立派な兵士として」です。
パウロは「キリスト・イエスの立派な兵士として」という言い方をしています。「立派な兵士になりなさい」ではありません。「立派な兵士として」です。パウロはテモテのことをキリスト・イエスの立派な兵士として認めているのです。
パウロは、テモテの何を見て、キリスト・イエスの立派な兵士と呼んでいるのか、そんな疑問が湧いてきます。
旧約聖書の士師記の時代、神様はギデオンという臆病者をリーダーに選ばれました。そのギデオンに「力ある勇士よ」(士師記6:12)と呼びかけられました。そして、ご自分がギデオンと共にいることを約束されました。臆病者のギデオンが力ある勇士と呼ばれた根拠は、共にいてくださる神様ご自身にありました。ギデオンの知恵や力や勇気ではなく、神様が共にいてくださる、だからこそ、ギデオンは力ある勇士と呼ばれたのです。
テモテの場合も同じでしょう。パウロはテモテの何かを見ているのではありません。テモテのそれまでの働きや知恵や力を見ているのではありません。パウロが見ているのは、あくまでもイエス様です。「キリスト・イエスの立派な兵士」という言葉の中心はキリスト・イエスです。兵士たちを募ったキリスト・イエスこそが中心です。そして、そのキリスト・イエスに結びつけられているからこそ、テモテは立派な兵士と言えるのです。たとえ臆病になっているとしても、キリスト・イエスに結ばれているならば、テモテには希望があるのです。
神様は私たちにも「キリスト・イエスの立派な兵士」と呼びかけていてくださいます。イエス様を救い主として信じ告白するすべてのキリスト者は、一人の例外もなく、キリスト・イエスの立派な兵士なのです。
父なる神様は、御子イエス・キリストを見て、罪人の私たちに赦しの道を開いてくださいました。まったく同じように、御子イエス・キリストを見て、私たちにキリスト・イエスの立派な兵士と呼びかけていてくださいます。私たちの何かを見てではありません。イエス様を見てです。イエス様から始まった私たちの信仰生活は、最初から最後まで、イエス様に希望があるのです。
祈り
自分の弱さと向き合うことのできない私たちであることを覚えます。そんな私たちすらも、神様はキリスト・イエスの立派な兵士と呼んでいてくださいます。私たちに大切な福音を委ねてくださっています。新しい一週間も、立派でない私たちを支えていてくださるイエス様を見上げながら、キリスト・イエスの立派な兵士として歩むことができるように助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります、アーメン。

