神学校の三年目、東近江の教会で神学生奉仕をさせていただいていた時、とても大きな出来事が起こりました。中沢隆一先生の召天です。
先生はその前の年度いっぱいで神学校校長の職を退かれていました。事故の時は何かの奉仕で神学校に来られていました。事故は朝食の直前でした。特別に許可をいただいて持っていた携帯電話で救急車を呼んだ私の手と声は、ずっと震えていました。
葬儀は東近江の教会で執り行われました。学校の許可が下りると、私はとにかく教会まで飛んで行きました。教会では田中先生ご夫妻や葬儀社の方々のお手伝いをすることになりました。足手まといになっていただけかも知れません。私にとって、キリスト教の葬儀はこの時が初めてのことでした。私は、とにかく祈りながら、すべての営みを目に焼き付けていました。
ちなみに、葬儀翌日の主日礼拝(11月15日)で説教奉仕の順番が当たっていたのは、何と神学生の私でした。「こんな時に、神学生の自分が説教なんて」と思いました。しかし、それも神様の導きだったのでしょう。田中先生のご指導もありましたが、普段通りに語らせていただきました。そして、それが精一杯でもありました。中沢先生からいただいた最後の訓練でした。
「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです。」(ピリピ人への手紙1章20節)