説教音声・要旨 2024年06月30日(日)

  • 主日礼拝説教:2024年06月30日(日)
  • 聖書箇所:マタイの福音書26章36~46節
  • 説教題:信仰の目を覚ます

暗唱聖句

誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。

マタイの福音書26章41節

説教音声

説教要旨

悲しみもだえるまことの神

 十字架を前にしての最後の食事の席で聖餐式を制定され罪の赦しを語られたイエスさまは、弟子たちと一緒にゲツセマネ(油絞りという意味)という場所に来られました。弟子のひとりイスカリオテのユダはすでに裏切りのために祭司長たちのところへと去りましたので、弟子たちはこの時11人となっています。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言い、ペテロとゼベダイの子二人(ヤコブ、ヨハネ)の三人を連れていかれました。ルカの福音書によると「石を投げて届くほどのところ」(ルカ22・41)とありますから、同じ場所というわけではありませんが、様子は十分に分かる距離です。そこでイエスさまは悲しみもだえ始められ、彼らに言われました。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい」。死ぬほどの悲しみにもだえられたイエスさまは、弟子たちに一緒に祈ってほしいと願われたのです。

 「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」。杯とは、これから迎えようとしている十字架の死を表しています。過ぎ去らせてください、とは、十字架で死なないでもよいようにしてください、という意味です。イエスさまは、できることなら十字架にかかりたくない、死にたくない、と祈られたのです。この祈りを三度された(39)と聖書は語ります。必死になって繰り返し祈られました。

 イエスさまはできれば十字架を避けたい、と必死に祈られたのです。今までに何度も、十字架にかかると語ってこられ、そのために降誕したことを知っておられたイエスさまが、ここに来てそれを避けたいと祈っておられる。聖書は、まことの神であるイエスさまが、死を前にして真実に恐怖された、と語るのです。

 イエスさまの十字架の死は、哲人の英雄的な死ではなく、また勇壮な殉教でもありません。イエスさまは、まことの人として死んでくださいました。

 私たちの死は罪びとの死ですが、イエスさまはまことの神ですから、その死は罪びとの死ではありません。にもかかわらずこれほどまでに悲しみもだえておられる。それは私たち罪びとの死を代わりに受けようされるまことの神の姿です。罪びとの死がどんなに悲惨で悲しみに満ちたものであるのか。私たちも真実に知りえないその死を、イエスさまはよくご存じの上で、まっすぐに受けようとされます。

 私はこのイエスさまのお姿が、福音書に登場するさまざまなイエスさまのお姿の中で、もっとも身近に感じます。このお方ならば、私の抱えている小さな問題も、誰にも言うことのできない恥ずかしいようなことも打ち明けることができるのです。批判することなく、解釈することもない。ひたすら、そうかそうか、と聞いてくださると信じることができるのです。真実に苦しみを経験しておられる、まことの神。まことの神であり、同時にまことの人となってくださったお方。このお方は、私たちがあらゆる事態の中にあっても、ともにいてくださる神なのです。

立ち上がろう、さあ、行こう

 イエスさまの祈りは続きます。「しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」。「あなたのみこころがなりますように」。イエスさまは、苦しみを深く経験しつつ、父なる神さまのみこころをお求めになりました。

 みこころのままになさってください。それは十字架への道に進む決意のことばであるとともに、父なる神さまに、自らを明け渡しておられることばなのだと思います。この後イエスさまは、祭司たちに引き渡されます。その前に、父なる神さまに自らを引き渡しておられる。引き渡されることによって、罪の赦しの道、贖いの道、死が滅ぼされ、永遠のいのちへの道が開かれる、そのまことの勝利の道に進んで行くために、自らのすべてを父なる神さまにゆだねておられる。神さまの勝利は、神さまご自身が自らを引き渡すことによって成し遂げられます。

 イエスさまから一緒に祈ってほしいと言われた弟子たちでしたが、目を覚ましていることができず眠ってしまいました。「一時間でも」(40)というのは、2時間ほどの時だそうです。長い祈りの中でいつの間にか眠ってしまうことも想像できますが、このイエスさまの激しい祈りの姿に目を覚ましていることができなかったのかもしれません。

 「霊は燃えていても肉は弱い」。私たちは弱い、しかし神さまは圧倒的な強さをお持ちである。いまこの霊は燃えている。誘惑に陥らず、目を覚まして祈っていなさい、神ご自身に目を向けていなさい。

 祈り終えられたイエスさまは弟子たちに言われました。時が来た。いよいよ十字架への道に進む。立ちなさい、さあ、行こう。見なさい、わたしを裏切る者が近くに来た。創造の初めから今まで幾度となく預言された救いの御業が、いよいよここにクライマックスを迎える、神さまの勝利の御業が成し遂げられる。神さまの力、神さまの支配がどのようなものであるのか、いままで人類が経験しなかった神さまの救いのわざを明らかにしようではないか。

 弟子たちは引きずられるようにしてイエスさまについていきます。父なる神さまと子なる神イエスさまが、そのすべてを傾けて、私たちを救うために、自らを引き渡すために進んで行かれます。私たちとともにいてくださる神さまはなんと力強いお方でしょう。

祈り

 あらゆる事態の中にあって、ともにいてくださるあなたは、私たちの罪を赦すために十字架に向かわれます。死を滅ぼし永遠のいのちの道を開くために進まれます。弱い弟子たちに、一緒に行こう、とお声をかけて下さったあなたは、今朝も私たちにお声をかけて下さいます。どうか、信仰の目を覚まさせてくださり、あなたとともに歩む喜びを確かなものとしてください。

説教20240630-01
説教20240630-02

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