改めまして(32)(週報2024年6月9日号)

改めまして(32)

 関西聖書神学校では携帯電話の所持や使用が認められていませんでした。外部との連絡は学校の電話を使いました。外では公衆電話です。インターネットの接続は指定された場所でランケーブルにつながなければなりませんでした。もちろん、使用できるランケーブルには限りがあります。

 外出も自由ではありませんでした。奉仕教会に行く時も含めて、外出の際には行き先や帰宅予定の時刻を玄関の黒板に記入して行かなければなりませんでした。広い駐車場はありますが、車は持てません。ちょっと抜け出して、映画を見に行ったり喫茶店に行ったりするようなことは、あり得ませんでした。また、神学校内では、男女が一対一で個別に話をするようなことも禁じられていました。

 私は、24時間365日の寮生活ではなかったため、例外的に認められていたことがたくさんありました。携帯電話も車もありました。それでも不自由や不便を感じることでいっぱいでした。

 しかし、不自由で不便だったからこそ、余計なことに煩わされることも少なかったのかも知れません。みことばの学びに集中する環境が作られていたのです。神学生の本分は学びにありました。不自由で不便な日々は神学生たちに与えられた特権であり恵みでした。当時は大変に思うことばかりでしたが、与えられていた恵みに改めて感謝しています。

「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。」(コロサイ人への手紙3章16節)


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