改めまして(31)(週報2024年6月2日号)

改めまして(31)

 関西聖書神学校は先輩後輩の関係に気を使う学校でした。いわゆる、上下関係です。体育会系のノリと言えるのかも知れません。私の在学当時はさほどではなかったと思います。それでも、先輩の言うことに異を唱えるようなことは、なかなかできないことでした。

 そんな校風だったからでしょうか。関西聖書神学校は「従順学校」と呼ばれていました。従順を学ぶ学校です。私の在学当時に学監だった先生からは、「人に従うことによって、神に従うことを学ぶ」と教わりました。先生の言葉は後付けの説明だったのだと思いますが、私は妙に納得させられました。

 私たちは神様に従うことを願います。人に従うのではありません。だからと言って、人を無視するのではありません。「神様を信じていたら、社会のルールなんて関係ない」とはならないでしょう。反対に、神様に従うことを願うからこそ、社会のルールを尊重し、人と人との関係を大切にし、従うべきことには従っていくのだと思います。

 それまでの人生でも、従うことは経験してきていたはずです。しかし、神学校に入って、私は従うことの難しさに改めて気づかされたように思います。神様に従っているつもりで、実は単なるワガママだった、そんな自分を、神様に取り扱っていただかなくてはなりませんでした。これもまた継続中です。

「人のご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れつつ、真心から従いなさい。」(コロサイ人への手紙3章22節)


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