改めまして(30)
関西聖書神学校は基本的に全寮制でした。私は、結婚して間もないこともあって、また、家族寮がなかったこともあって、近くにアパートを借りて神学校に通うことになりました。早天祈祷会の時間に合わせて神学校に行き、夕食の頃にアパートに帰りました。
神学校では、他の神学生と同じように、部屋が与えられました。部屋は余っていますが、全員が二人で一部屋です。部屋の壁はブロックがむき出しでした。
一つの部屋で誰かと一緒に生活をするというのは、簡単なことではないと思います。それは、親子や兄弟、夫婦も同じであり、神学生も例外ではありません。寮生活そのものが訓練の場でした。24時間365日の寮生活ではありませんでしたが、それでも私にとっては大変なことでした。
最初は先輩と同室でした。先輩と同室になると、とても緊張していました。反対に、自分が上の学年になって、後輩と同室になると、変に気負うことがあったように思います。模範的な姿を示さなければならないように思ってしまうのです。また、同学年で同室になった時は、気が楽でした。それでも、相手と自分を比較して、優越感や劣等感を抱いたりすることがありました。
ブロックがむき出しになった小さな部屋の中で、私はむき出しになった自分の思いと向き合うことになりました。そして、神様に取り扱っていただかなくてはなりませんでした。現在も継続中です。
「神よ 私をあわれんでください。」(詩篇51篇1節)