説教音声・要旨 2024年5月19日(日)

  • 主日礼拝説教:2024年05月19日(日)
  • 聖書箇所:コリント人への手紙第一12章1~11節
  • 説教題:神の御霊によって

説教音声

暗唱聖句

御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。

コリント人への手紙第一12章11節b

説教要旨

イエスを主と告白することは、聖霊の働きによる

「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません」(3)。

キリスト教信仰とは、イエスさまを主と告白する信仰です。神さまを信じる、という人はこの世界にさまざまおられると思います。しかしいくら神さまを信じているといっても、イエスさまを主と告白することなくして、神さまを信じていることにならないと聖書は語ります。神さまを信じることは、十字架と復活において限りなく私を愛していてくださるお方を信頼することです。
 イエスさまを主と告白する、ということは、イエスさまを主人として迎え、イエスさまに仕えていこうとすることです。コリントの町は異教の町でした。そこに生まれたキリスト者たちは、かつては「誘われるまま、ものを言えない偶像のところに引かれて行った」生活をしていました。偶像はものを言えませんから、そこでは人間は自分の思いのままに語り、願い、求めます。どこまでも自分の欲望や願望が中心となる、まさに自己中心の生活でした。
 そのような者が、イエスさまは私の主です、と告白する信仰に生きるようになりました。今までは私が主だったのです。それが今やイエスさまが私の主になったのです。今までは私の願いや考えが最優先でした。しかし信仰をいただいてからは、イエスさまのみこころを求めるようになりました。幸いをいただいたときには、今までは私の誉れでした。しかしイエスさまを主と仰ぎ見るようになって以来、主に感謝をささげる者となりました。苦しみに出会ったとき、以前はただ絶望するしかありませんでした。しかしイエスさまが私の主となってからは、苦しみは祈りの時であり、さらに深い神さまのみこころに出会うとき、またともに生きる人びととの連帯をいただくときとなりました。
 そのようにイエスさまを主と告白する信仰生活に招かれたのは、私の功績によるものではありません。聖霊の働きによるのです。
 神さまはなかなか信じることができないという方も、もし「イエスさまは私の主です」との信仰を告白することができているのならば、そこに聖霊はすでにお働きになっているのです。

皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられている

「同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。」(11)

「賜物」とは、単に能力のことではなく、神さまからいただいたもの、という意味です。私たちにはそれぞれさまざまな能力があると思いますが、それが自分だけの努力や力で得たものであるとするならば、それは賜物とは呼べません。賜物とは、なんの功績もない者である私に神さまが与えて下さった、ゆだねて下さった、という感謝と喜びを現す言葉です。「奉仕」も神さまに仕えるということですから、何かの活動ということではありません。どんなに有用な活動であっても、神さまに仕える、ということでないならば、それは奉仕ではありません。奉仕のうちで最大のものは礼拝です。「働き」も、神さまご自身がお働きになってくださっているということが見失われるならば教会の働きでなくなってしまいます。賜物も奉仕も働きも、御霊、主、神、すなわち三位一体の神さまのお働きなのです。
 ですから、賜物、奉仕、働きにはさまざまなものがあるのですが、それらはみな三位一体の神さまのお働きです。人間の目には、それぞれに違いがあり、そこから優劣を考えてしまうかもしれません。しかし同じ神さまがお働きになっておられることなのです。賜物も奉仕も働きには、優劣は一切ありません。
 神さまは、イエスさまを主と告白する者たちに、ご自身の働きをゆだねてくださいました。神さまは自らに何か不自由があって、私たちを利用なさるのではありません。神さまは全知全能です。しかしその何でもできる神さまがご自身の働きを、弱く欠けだらけの私たちにゆだねて下さったのです。畏れ多いことであり、もったいないことです。また誇らしいことです。賜物が与えられているということ自体に神さまの愛が現れています。
 神さまは「みこころのままに」与えて下さいました。私たちは、互いの違いに優越感を持ったり、逆に劣等感を持ったりするかもしれません。しかし神さまはそれぞれに、それぞれだからこそ、唯一最高のものを与えて下さっています。

「皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです」(7)。

神さまが一人ひとりに御霊の現れ、すなわち賜物、奉仕、働きを与えていてくださるのは、皆の益となるため、すなわち教会を建て上げるためです。皆の益となるために、与えられた賜物を用いるとき、そこで確かに神さまのお働きがなされるためには、私たちに神さまへの従順、そしてお互いへの謙遜が必要です。神さまはそのような人をご自身の御業のためにお用いになるのです。

祈り

聖霊の働きによって、教会は建て上げられ、福音は前進します。あなたのその働きを邪魔することのないように、私たちにあなたへの従順とお互いへの謙遜を与えて下さい。どんなに小さなことであっても、そこに従順と謙遜、あなたへの愛をこめて行うならば、それが御霊の働きであると信じさせてください。御霊に満たしてくださり、自分が主となろうとする誘惑に勝たせてください。

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