改めまして(28)
韓国で信仰生活をスタートしていた私は、神学校を決める時、日本の神学校について何も知りませんでした。関西聖書神学校に決めたのは、何よりも他の神学校を知らなかったからでした。
関西聖書神学校は、私が東近江の教会に導かれた当時の牧師、中沢隆一先生の母校でした。私が献身を決心した時には、同校の校長を務めておられました。私は「中沢先生が学ばれた神学校だったら間違いない」と思っていました。しかし、神学校に入ってみると、すぐに違和感を抱くようになりました。
私の信仰生活は韓国の長老教会でスタートしました。カルヴァンの流れにある教会でした。しかし、そのカルヴァンが神学校では批判的に見られている感じだったのです。カルヴァンの流れにある教会に身を置いてきた私にとっては、居心地の悪いものでした。反論したいけれども、反論する力もない、そんな自分と向き合いながらの学びでした。
入学してしばらくは、「入る神学校を間違えたかなあ」と思ったりしていました。それでも、後には、関西聖書神学校で良かったと思うようになっていました。現在もそうです。葛藤を覚えながら学ぶこともありましたが、だからこそ、改めて自分の立ち位置を確認することになり、同時に、召してくださったイエス様へと目を向けさせられたように思います。
「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。」(ピリピ人への手紙3章12節)