改めまして(27)(週報2024年5月5日)

改めまして(27)

 2013年4月、私は神学校に入りました。関西聖書神学校、JR神戸線の塩屋駅から歩いて15分程度、山の中腹にありました。地名から「塩屋の神学校」と呼ばれることが多いようです。校舎の屋上からは明石海峡の穏やかな海を見下ろすことができました。

 さて、神学校に入学した頃のことで、今も忘れられないのは、初めて出席した早天祈祷会の経験です。早天祈祷会は入寮日の次の日から始まりました。

 始まりの時間に合わせて祈祷室に入ると、そこには黒いスーツで身を固めた男子の神学生たちが、静かに席に着いていました。男子神学生たちが早天祈祷会の始まりを待っている祈祷室は、ピーンと張りつめたような緊張感に包まれていました。そして、その雰囲気に、私は初っ端からびびってしまいました。

 もちろん、私もスーツ姿でした。私だけが場違いな格好をしていたのではありません。同じ格好をしているはずでした。しかし、何かが違うのです。

 私は、表面的な格好では誤魔化すことのできない自分の中身が問われているように思いました。すべてを見ておられる神様の前に立たされたように思いました。まだ、入学式も行われていない時のことでした。私は、張りつめた雰囲気に圧倒されながら、神様の言葉に耳を傾けて祈り始めることになりました。

「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル記第一16章7節)


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