説教音声・要旨 2024年4月21日(日)

  • 主日礼拝説教:2024年04月21日(日) 召天者記念礼拝
  • 聖書箇所:コリント人への手紙第一15章20~22
  • 説教題:キリストにあって生きる者

暗証聖句

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

コリント人への手紙第一15章20節

説教音声

説教要旨

アダムにあってすべての人が死んでいる

 死なない人は一人もいません。人間である限り、あるいは生きものである限り最後は死にます。なぜ死ぬのか。死がなぜ恐怖なのか。なぜ苦しみや悲しみなのか。肉体的に痛みを伴うことが苦しみであり恐怖であれば、その痛みがなければ苦しみや悲しみでなくなるのか。恐怖ではなくなるのか。
 死がどのようにして人間にやってきたのかが創世記3章に書かれています。聖書は、死はアダムの罪によって入ってきたのだと語ります。死と罪は密接に結びついているというのです。罪が分からなければ死が分からない。死の苦しみや恐怖の出どころを理解するためには、罪とはいったいなんであるのかを知る必要がある。
 アダムが神さまから取ってはならないといわれていた「善悪の知識の木」の実を取って食べてしまった、それが罪であると語ります。木の実を取るという行為自体が罪であるというよりも、その行為によって明らかにされたことが罪です。それは、神さまの言葉よりも、自分の考え、自分の感情、自分の主張を第一にしたことでした。聖書は、この自己中心こそ罪である、と語ります。
 善悪の知識の木の実を食べ、そうして神さまを後回しにし、自己中心で生きる道を選択したアダムに、神さまは「いのちの木からも取って食べ、そうして永遠に生きるなどということがないように」と、人間をエデンの園から追い出されました。こうして人は死ぬものとなったのです。
 死の恐怖、死の苦しみ、悲しみは、この神さまを後回しにする自己中心の罪とセットとなっているのです。私たちはみなこの罪と死から逃れることができませんでした。人間である、ということは、この罪と死に付きまとわれている、ということだったのです。

キリストにあってすべての人が生かされる

 そのような人間を救うためにまことの神であるイエスさまは、人となられて地上に降り、父なる神に従い、十字架の死にまで従う道を歩んでくださいました。まことの人間が歩むべき道、神さまを神さまとする道を歩んでくださったのです。そうして十字架において人間の罪のすべてを背負い、人間の身代わりとなっていのちを献げてくださいました。こうして死なれたイエスさまを、神さまは復活させられました。この復活こそ、罪に対する勝利であり、また死に対する勝利です。
 罪に翻弄される人間の救いは十字架と復活において成し遂げられました。それは死の恐怖、苦しみや悲しみに絶望する人間の救いでもありました。この救いこそ、まことの救いです。どんなに救われたといっても、死が解決されていないならば、それは本当の救いではありません。復活こそ、私たちの救いの完成なのです。ただ死んだ人が復活したというのではありません。十字架にお架かりくださった主が、復活された、そうして罪と死に勝利されたのです。この神さまの御業によってまことの救いが私たちにもたらされたのです。
 聖書はこの主の復活が「初穂」である、と語ります。主にある者はみなこの復活にあずかるのです。善行に生きた者、立派な信仰生活を送った者が復活のあずかるのではありません。罪の赦し、すなわち自己中心から解放され、すべてにおいて神が神となってくださった者に復活は約束されているのです。
 すべてにおいて神が神となってくださっている、それは死においても神が神となっていてくださる、罪においても神が神となっていてくださることです。自己中心、人間中心では、罪も、そして死も解決がありません。しかし神が神となってくださっている。もはや私ではなく、神が私を生かしていてくださる。私が中心の人生から、神さまが中心の人生へと変えられたのです。だからこそ、もう罪も、そして死も私を支配することがないのです。
 もちろん、信仰をもったとしても、依然罪の苦しみが起こり、死の恐怖に縛られるかのような時もやってくるでしょう。しかし主にある者は主を見上げていつも新しく希望をもって生きることができます。もはや罪も死も私を縛ることがありません。罪と死との戦いは、地上にある限り継続します。しかし天の御国を見上げながら、そこに招き入れられることを信じてなお地上に生きる者に、復活が約束されています。唯一の望みであるキリストにあってすべての人が生きるのです。

祈り

 かつて自己中心の罪の中にしか生きることのできない者でした。しかしあなたの一方的な恵みによって、その愛によって、私たちは救われました。罪を赦していただき、永遠のいのちを与えていただきました。まことに感謝します。
 先に天に帰られた方々と共に、主が復活されたことを記念する日曜日、主の日に私たちは礼拝を献げています。なお地上を歩む私たちが、天を見上げ、天の御国にこそ私の国籍があることを確かにしながら、喜びと感謝をもって日々を生きることができるように。もはや罪が、そして死が私を縛ることがない。その恵みに生きることが出きるように助けてください。

主日礼拝説教20240421-01
主日礼拝説教20240421-02

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