改めまして(25)(週報2024年4月21日号)

 私は、「献身」という言葉が胸の奥につかえたまま、先に結婚へと導かれました。結婚を念頭に置いた紹介によって、後に妻となる姉妹と初めて出会った時、私たちは互いの信仰を分かち合いました。その時に、私は献身の可能性についても分かち合いました。実際に献身するかどうかは分かりません。しかし、もし結婚後に献身ということになった場合に、「分かってたら、結婚なんか」みたいな事態にならないようにと思ったのです。結果は「了解」ということでした。「了解」という答えをいただいてしまいました。

 さて、結婚して新たな生活が始まると、私の心は次第に献身へと傾いていきました。信徒としてできることに、もどかしさを感じていたのです。

 私たち夫婦は、多くの方々を家庭に招いて、神様の愛を伝えたいと思っていました。しかし、他の仕事に就いていると、どうしても時間は限られてくることが分かりました。体力も限られています。

 私は、与えられた状況の中で精一杯仕えたいと思っていましたが、それだけではまっとうすることのできない使命を感じるようになっていました。そして、与えられた状況の中でではなくて、私の生活全体、私の人生そのものが求められていることを感じていました。

「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」(創世記22章2節)


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