説教要旨 2024年4月14日(日)

主日礼拝説教:2024年4月14日(日)

聖書箇所:テモテへの手紙第一6章1~2節

説教題:尊敬して仕える

暗唱聖句

その良い行いから益を受けるのは信者であり、愛されている人なのですから。

テモテへの手紙第一6章2節

説教音声

説教要旨

奴隷としてくびきの下にある人は

 パウロは、やもめ、長老に続いて、奴隷の問題を取り上げました。

 パウロは、奴隷について、「くびきの下にある人」という言い方をしています。軛につながれた家畜には自由がありません。軛につながれた家畜は、自由を奪われて、与えられた仕事を黙々とこなし続けます。そして、そんな軛につながれた家畜のイメージは、私たちがイメージする奴隷の姿と、ピッタリ一致していると言えるのかも知れません。しかし、実際の奴隷の姿は、もう少し多様であるように思います。

 財産の管理をする奴隷がいれば、子どもたちの家庭教師をする奴隷もいました。医者として、主人の健康を支える奴隷もいました。パウロの時代もそうです。彼らはそれなりの自由を満喫していたことでしょう。

 しかし、パウロは、そんな奴隷たちのことを、「くびきの下にある人」と表現しているのです。表面的には自由に見えるかも知れない、しかし、実際には軛の下にある、それが奴隷の本質です。

 現在の私たちは奴隷ではありません。私たちは自由です。しかし、軛の下にあるのは、パウロの時代の奴隷たちも、現在の私たちも、何も変わりません。そして、その軛とは罪のことです。神様の愛を拒み、神様から離れた罪、すべての人はその罪の軛の下にあるのです。表面的には自由に見えるかもしれません。しかし、軛につながれているのです。

 神様は私たちを愛していてくださいます。だからこそ、真の人となって、私たちの世界に来てくださいました。ご自分を拒む私たちの手で十字架にかけられまでして、私たちと共に生きる道を選んでくださいました。死人の中からよみがえられて、誰にも妨げられることなく、私たちと共にいてくださいます。そして、「一緒に歩きたい」と、私たちを招いていてくださいます。

 神様は私たちを愛していてくださいます。私たちを愛して十字架にかかってくださった神様は、私たちを裏切ったりなさいません。上手くできない私たちを笑ったりなさいません。間違ってばかりの私たちを見放したりなさいません。神様は私たちをありのままに愛していてくださいます。そして、その愛の中に、本当の自由はあります。

主人が兄弟だからといって軽んじることなく

 パウロやテモテの時代、社会にはたくさんの奴隷がいました。その奴隷たちにも福音が伝えられて、たくさんの奴隷たちがイエス様を信じてクリスチャンになりました。

 聖書は、すべての人が罪人だと語ります。しかし、その罪人たちを神様が愛していてくださると語ります。そこには何の区別も差別もありません。奴隷も主人も一緒です。同じ主にある兄弟姉妹です。

 しかし、だからと言って、パウロは、奴隷制度の問題を指摘して、奴隷解放運動を始めたのではありません。パウロは、「信者である主人を持つ」奴隷に対して、「主人が兄弟だからといって軽んじることなく、むしろますますよく仕えなさい」と教えています。奴隷の側からすれば、「同じ主にある兄弟じゃないか、よろしく頼むぜ」という感じだったのでしょうか。いずれにしろ、パウロが、信者である主人に対する尊敬を、わざわざ教えていることからすると、信者である主人たちが奴隷たちに軽んじられていたのは、普通の状態になっていたのかも知れません。

 教会の中でなければ、主人が奴隷から軽んじられることはなかったでしょう。主人は、自分を軽んじる奴隷を、懲らしめることもできたのだと思います。しかし、教会の中では、主人たちは奴隷たちに軽んじられていました。もしかしたら、軽んじられたままでいたのかも知れません。主人たちは奴隷たちに軽んじられることを受け入れていたのであり、それはイエス様の愛に触れて新しく生きる主人たちの赦しと忍耐の証しであるのかも知れない、そんな想像をします。

 パウロは奴隷の解放を訴えませんでした。しかし、パウロの教えに従って、新しく仕える人生をスタートさせた人々の歩みを通して、後の時代に奴隷たちは解放されていくことになりました。神様ご自身が仕える人々の人生を用いてくださいました。

 私たちは、奴隷として生まれた者ではありません。しかし、生まれ変わった奴隷です。罪の奴隷だった私たちは、神様の奴隷、イエス・キリストの奴隷として、新しく生きる者とされています。仕えて生きる歩みへと招かれています。強制的に義務的に仕えさせられるのではありません。神様から愛されている者として、神様の愛に応えて仕える者とされていくのです。

祈り

 誰よりも主イエス様ご自身が罪人の私たちに仕えてくださったことを感謝します。そのイエス様の愛に触れた私たちです。新しく始まる一週間も、イエス様の招きに応じて、仕える者として歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。

2024.4.14 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-01
2024.4.14 東近江キリスト福音教会「礼拝」説教レジュメ-02

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