改めまして(23)(週報2024年4月7日号)

改めまして(23)

 先週の本欄で書きましたが、私が信徒として大津の教会で過ごしたのは半年ほどでした。半年で大津での信徒生活が終わったのは、神学校に入学したからです。「献身」です。

 話を結婚前に戻します。東近江の教会に導かれてしばらくすると、私は、ニュージーランドから来られていた宣教師の先生と、伝道に出かけるようになっていました。「トラクト配布をしませんか」と、呼びかけられたのです。そして、「どうせなら」ということで、一軒ずつピンポンを押して、教会案内や伝道用トラクトをお配りしていくことになりました。これはドキドキでした。大ベテランの先生がいてくださったからこそ、できたことでした。

 また、韓国から来られていた宣教師の先生からも、ヤング(中高生)の奉仕に誘われました。こちらも、「少しでもお役に立てるのであれば」という思いで、奉仕に加わらせていただきました。

 東近江の教会に導かれた時には、とにかくゆっくりすることしか考えられませんでした。そして、それで良かったのだと思っています。私には確かに休息が必要でした。しかし、毎週の礼拝や祈祷会で神様からの恵みを受け取っていると、それで終わりにはならない何かが、心のどこかに湧き起こっていました。「無理のない範囲で」と、自分自身に言い聞かせながら、私は小さな一歩を踏み出そうとしていたのでした。

「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。」(イザヤ書40章8節)


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