改めまして(19)(週報2024年3月10日号)

改めまして(19)

 日本に戻った後、私は、ヘルパー2級の資格を取って、小規模多機能型の施設で働くことになりました。通いと泊まりと訪問のサービスを組み合わせて提供できる小規模の施設ということでした。

 ヘルパー2級の勉強をしながら、そして、実際に仕事が始まって、取り組まなければならなかったのは、「傾聴」ということでした。相手の話をよく聞くことです。

 私は口数が多くありません。自分が話の輪の中心にいることはあまりありません。聞く側に回ることがほとんどです。そんな私にとって、傾聴は問題にならないはずでした。傾聴ならできる、そう思っていました。

 しかし、改めて意識的に傾聴に取り組むことになると、私は自分がまったく他人の話を聞いていないことに気づかされました。相手の話を途中で遮ってばかりなのです。頭の中で「どう答えてやろうか」と考えながら聞いていて、結局は何も聞いていない、そんなこともしばしばです。私は、聞くことよりも話すことに関心を集中させている自分と初めて向き合うことになりました。

 傾聴は牧師にとっても大切であることを教わりました。まず、神様の言葉を聞く、そして、人の言葉を聞く、聞くことなしに語ることはあり得ません。神様は傾聴のできない私に相応しい訓練の場を与えてくださっていたように思います。

「私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。」(ヤコブへの手紙1章19節)


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