改めまして(16)(週報2024年2月18日号)

改めまして(16)

 論文を書くことができなくて、韓国にいる理由のなくなった私は、日本に帰国しました。2009年12月のことでした。ビザの関係などで何度かの行き来はしていましたが、2000年9月の渡韓以来、韓国滞在十年を前にしての完全帰国でした。

 帰る所は五個荘町(東近江市に変わっていました)の実家です。他に選択の余地はありません。そんな私には、帰国を前にして、一つの心配がありました。それは、私を迎える家族、特に両親の反応でした。

 私が韓国に行ったのは、十分に家族の理解を得てのことではありませんでした。「何を訳の分からんことを」という感じだったでしょう。故郷に錦を飾るような形で帰るのであれば、話は別です。しかし、私の場合は、何にもなしで帰るのです。しかも途中で「宗教」にはまっていました。私を迎える両親の反応を考えると、気が重くなるばかりでした。

 家に帰ってみると、両親は何も言いませんでした。無事に帰って来た息子の私を、そのまま黙って迎え入れてくれました。クリスチャンでも何でもない両親ですが、私は放蕩息子の帰りを喜んだ神様の愛を経験するようでした。両親にはこの時のことをずっと感謝しています。そして、貧しい自分をありのままに受け入れていてくださる神様に感謝しています。

「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」こうして彼らは祝宴を始めた。」(ルカの福音書15章24節)


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