改めまして(14)(週報2024年2月4日号)

改めまして(14)

 救いをいただい後、勉強のペースがつかめてくると、私は教会や宣教団体での奉仕に多くの時間を割くようになりました。しかし、学生である私の本分はあくまでも学業でした。

 もちろん、勉強を疎かにしていたわけではありません。私はいつも必死に勉強していました。それでも、「必要最低限」以上のことはできなくなっていたように思います。所属する研究室の方々とは何となく馴染めず、指導教授の先生からはほとんど見捨てられたような状態でした。学内で先生や先輩方と顔を合わせると、よく気まずい思いをしていました。

 そんな私が定められた課程(修士)を無事に終えられたのは、奇跡でした。しかも、論文の審査では、ある先生からお褒めの言葉までいただいて、(よく読んでおられなかった)指導教授の先生がびっくりなさっていました。誰よりも、私自身がびっくりしました。

 入学した時から、私にはいつも親身になって助けてくれる友人の学生がいました。彼はたくさんの時間を割いて勉強を助けてくれました。研究室の方々との関係もつなぎとめてくれていました。彼がいてくれなかったら、私はすぐに挫折をしていたことでしょう。いろいろな「奉仕」をしているつもりで、私の方が本当に必要な「奉仕」を受けていたのでした。

「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコの福音書10章45節)


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