改めまして(7)
同じ書き出しになってしまいますが、韓国で信仰をいただいた頃、私は韓国文学を学んでいました。そして、外国人の私が韓国人の学生たちと一緒に韓国文学を学ぶことは本当に大変なことでした。それでも、それなりに勉強のペースがつかめてくると、私は教会に導かれるきっかけとなったISF(International Student Fellowship)の活動にスタッフとして関わるようになっていました。イエス様の福音を分かち合いたいという思いでいっぱいでした。
以前にも書きましたが、ISFは韓国に来た外国人留学生たちに友だちとして仕える宣教団体です。私も、韓国人の学生スタッフたちと同じように、イベントの企画・開催をしたり、(特に)新年度には新しい(韓国人)スタッフを募集したりしていました。そして、いつのまにか活動の中心にいたのは外国人である私でした。私は自分が在籍するキャンパスの責任者になっていました。
私は、幼い頃から引っ込み思案な方で、たくさんの人の集まる場が苦手でした。「代表」みたいな肩書きをいただくことは、何としてでも避けようとしてきたことでした。小さな団体とは言え(実際には小さな団体だからこその難しさにずっと苦労しっぱなしでしたが)、責任のある立場を引き受けた自分が、私は意外でした。それは、イエス様との出会いなくしては、あり得ないことでした。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」「マタイの福音書」(4章19節)