改めまして(4)(週報2023年11月26日号)

改めまして(4)

 韓国で導かれた教会はネスドン教会という名前でした。最寄り駅は地下鉄5号線の光化門駅です。光化門は慶福宮という王宮の城門です。近くには、世宗文化会館、救世軍会館、また、韓国で最初に誕生したプロテスタントの教会であるセムナン(「新しい門の中へ」という意味になるでしょうか)教会などもあり、歴史と文化の香りが漂う街だったように思います。

 さて、いつかの礼拝でも分かち合ったことと思いますが、教会の礼拝に参加するようになって驚いたのは、皆が真面目にイエス様を信じていたことでした。聖書の教えを素直に信じて、神様の御心に生きようとしていたことでした。「信じる」と言っても、聖書から様々な教訓を学んだり、神様を心の支えにしたりする程度にしか思っていなかった私にとっては、衝撃的でした。そして、私は、信じるどころか、「イエス様だけ」という考えに反発を覚えたりしました。教会に集まっているのはとても良い人たちで、何とか分かり合いたいと思いましたが、思いとは裏腹に、けんか腰の議論をふっかけるばかりでした。そんな私が神様を信じたのは、神様の御業と言うしかありません。まさに信仰をいただいたということですね。

「そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。」(コリント人への手紙第一2章4~5節)


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