主日礼拝説教 2023年11月12日(日)

  • 主日礼拝説教:2023年11月12日(日)
  • 聖書箇所:コリント人への手紙第一13章
  • 説教題:愛を土台として

●説教音声

●暗唱聖句

愛を追い求めなさい。
コリント人への手紙第一14章1節a

●説教要旨

◎愛、すべてにまさる道

 「愛」は、すべてにまさっています。「異言」「預言」「知識」「信仰」「施し」「殉教」のいずれであっても、そこに愛がなければ無に等しく何の役にも立ちません。罪びとである私たちは、愛なくしてこれらをやってしまうことが出来るのですから、何よりも愛を追い求めなければなりません。そうでなければ人生そのものが無意味になってしまいます。
 愛は、寛容、親切、喜び、忍耐、信頼、希望です。また愛は、ねたみ、自慢、高慢、非礼、欲望、いら立ち、恨み、不正とは無縁です。預言も異言も知識も、いつかはすたれます。しかし愛は絶えることがありません。

 このような愛が私たちの人生あれば、私たちの人生は大きく変わるのではないでしょうか。人生には、思い通りにいかないことが起こります。しかし人生を信じ、忍耐し、喜んで生きることが出来れば幸いです。苦しみや困難に出会う時も、希望に生きることが出来れば幸いです。憎しみや戦いの中に置かれる時も、寛容な心をもって、いら立たず、人の悪を数えるのではなく、神さまの良くしてくださったことを数えて生きることが出来れば幸いです。寛容と言っても、不正を見過ごしにするのではありません。真理を求める時、戦いが起こるかもしれません。しかし神さまの聖さに生きることは愛に生きることなのです。幸いなことなのです。

 このような愛に生きるようにと、私たちは神さまに招かれています。私たちの内には、このような愛はありません。愛があると思っても、それが不完全であることを知っています。
 どうすれば、完全な愛に生きることが出来るのでしょうか。

◎愛を追い求めよう キリストを追い求めよう

 私たちの知識も預言も部分的なものですから、愛をはっきりと知ることができません。しかしやがての時に、この愛を完全に知るようになる、と聖書は語ります。
 今は、私たちは神さまを完全に知ることができませんが、神さまは私たち人間を完全に知っていて下さいます。神さまが私たちを知っていてくださる、ということは、それは愛していてくださる、ということです。そのように、やがての時、私たちも神さまを知り、完全な愛に生きる者としていただきます。

 完全な愛に生きるようにと招かれている私たちが、その愛に生きることを可能とするのは、愛そのものである神さまにお出会いすることです。
 神さまは、私たちのことをすべてご存じです。良い面も悪い面もご存じです。罪びとであることを誰よりもご存じです。しかしそのような私たちを愛してくださいました。御子であるイエス・キリストをこの世に遣わして下さいました。イエスさまは、私たちの罪の身代わりとして十字架にお付き下さいました。十字架の死の三日目に復活され、世の終わりまでともにいると約束をしてくださいました。その愛なるお方にお出会いすることによって、私たちも愛に生きることが出来るようにして下さいます。

 いつまでも残るものは、信仰と希望と愛である、と聖書は語ります。神さまへの信仰も、お互いの間にある信頼も、希望の見えない時にも希望を抱くことも、いつまでも残るもの、尽きることのないものでしょう。しかしその信仰も希望も、天国に行ったときにはもはや必要はないでしょう。ですから、最後の最後まで必要なものは愛なのです。愛こそ、いつまでも残るものです。愛こそ、最も大いなるものです。愛を追い求めましょう。

●祈り

 愛のない私たちをご覧になり、その有様のすべてをご存じの上で、それでも愛を傾けて下さいました父なる神さま。あなたは御子イエスさまの十字架の死によって、その愛を明らかにしてくださいました。愛が見えなくなるときも、あなたを見上げるごとに、愛を発見します。どうかまことの愛に生かされる者としてください。


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