主日礼拝説教 2023年9月24日(日)

  • 主日礼拝説教:2023年9月24日(日)
  • 聖書箇所:マタイの福音書22章23~33節
  • 説教題:神の力を知る

●説教音声

●暗唱聖句

神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。

マタイの福音書22章32節

●説教要旨

◎神の力を知る聖書の読み方

サドカイ人とはユダヤ人の一派で、一説によると祭司に起源をもつそうです。当時の社会においては豊かな人たちで人生を謳歌していた人たちでした。彼らは「復活はない」と主張していました。人生を謳歌する者にとっては来世があるとすれば都合が悪かったからでしょうか。一方同じユダヤ人の一派であるパリサイ人たちは「復活はある」と主張していました。律法に忠実に生きようとし、この世から距離を置いた生き方は、来世への希望に結び付きやすかった、ということでしょう。
パリサイ人がイエスさまをことばの罠にかけようとして起こした論争に破れたのを見て、サドカイ人たちがやってきました。彼らは結婚にまつわることを話題に質問しました。モーセが申命記25章5節や7節で語っている言葉を引用し、子孫を残すための結婚のあり方を語ります。次にテストケースを語ります。例えば7人の兄弟がいて、長男は結婚したが死んだ。妻はこの聖書の言葉に従って弟の妻となった。しかし妻になったのち兄弟たちは順に死んでしまった。最後に妻も死んだ。では復活の際、この女性はだれの妻になるのか。
おそらくこの問いは、問いというより彼らの主張なのでしょう。聖書を第一にして生きるところで、復活があるとすれば、答えのでない疑問が生まれるではないか、矛盾が起こるではないか、だから復活はないのだ、と。
イエスさまは答えられました。

「あなたがたは聖書も神の力も知らないので、思い違いをしています。復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。」(29,30)

聖書を引用して復活はないと主張するサドカイ人たちに対して、イエスさまは、あなたがたは思い違いをしている、と言われました。なぜ思い違いをすることになったのか。それは聖書も神の力も知らないからである、と。
サドカイ人たちは、自分たちは聖書をよく知っていると思っていました。しかしめとること、嫁ぐことを、地上の考え方でしか考えられませんでした。それは神の力を知らずに聖書を読んでいたからです。神の力を知らずに聖書を読もうとするならば、地上の考え方だけでしか考えることができません。しかしイエスさまは、復活の時には人は天の御使いたちのようである、だから地上の考え方は通用しない。神の力を知って聖書を読むならば、そんな思い違いはしないはずだ、神の力を知って聖書を読んでいたならば、復活はない、などという思い違いはしないはずではないか、と言われたのです。
神の力を知って聖書を読むことを大切にしたいと思います。

◎神は生きている者の神

つづいてイエスさまは言われます。

「死人の復活については、神があなたがたにこう語られたのを読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」(31,32)

「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。「わたしは・・・ある」(出エジプト3・14)ということから、神さまは何ものにも依存せず永遠に存在されているお方である、だからその神さまを信じる者も、永遠のものとなる。であれば、死が終わりではない、ということも当然のことでではないか。
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です」。神さまは生きている者だけの神であって、死んでしまった者にはもはや神ではない、ということではありません。神さまを信じたということは、神さまにしっかりとつかんでいただいたということです。神さまは、たとえ私たちが死んでしまったとしても、その御手を離すことをなさいません。その神さまは永遠のお方です。永遠の神さまにつかんでいただいているので、もはや私たちの死はその根底から意味が変えられてしまいました。神さまを知るまでは、死はただ恐怖と絶望でしかありませんでした。しかし神さまを信じ神さまの力を信じた今、もやは死のとげはどこにもありません。それが神さまを信じた者、神さまにつかんでいただいた者の喜びなのです。神さまを信じる者は、この神さまの恵みの力に生かされています。そうして確かな喜びに生かされているのです。

これを聞いた群衆は、そのイエスさまの教えに驚きました。彼らを驚かせたイエスさまの教えは、やがて十字架の主、そして復活の主によって確かなものとなりました。

「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(第一コリント15・20)

死は勝利に呑み込まれたのです。
「私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。・・・私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」(第一コリント15・49~52)

●祈り

十字架の死により完全に死なれ、葬りののち甦られた主イエスさま。あなたの御名を賛美します。永遠の命に生かされていることの喜びを確かにさせてください。


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