聖書愛読より 「老いの冠」 ルカ2・25~38(週報2023年9月17日号)

牧会ずいそう 週報2023年9月17日号

聖書愛読より 「老いの冠」 ルカ2・25~38

「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。」(ルカ2・25,26)

 幼子イエスさまは律法の慣習を守るために両親によって宮に連れて行かれ、そこでシメオンとアンナの二人の信仰者から祝福を受けられました。29節からの歌はシメオンの賛歌(ヌンク・ディミトゥス)と呼ばれ、マリアの賛歌(マニフィカト)、ザカリヤの賛歌(ベネディクトゥス)、天の軍勢の賛歌(グロリア)に続く4番目の賛歌としてこののち歌い継がれることとなります。
 シメオンは、イスラエルが慰められることを待ち望んでいました。そして主のキリストを見るまでは決して死を見ることはない、と聖霊によって告げられていました。シメオンの残された人生は、ひたすら神さまの栄光を見ること、その時を待ち望むことだけとなっていたのです。
 その時は唐突にやって来ました。ナザレから貧しい夫婦が幼子を抱いてやってきたのです。彼らに注目する者はだれもいません。シメオンだけがこの幼子に「主のキリスト」を発見します。待ち望む人は、幼子の中に神の栄光を発見する人でした。そして賛歌を歌いました。「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。」


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