聖書愛読より 「文書の記録」 ハバクク2・1~4(週報2023年9月10日号)

牧会ずいそう 週報2023年9月10日号

聖書愛読より 「文書の記録」 ハバクク2・1~4

「主は私に答えられた。『幻を板の上に書き記して、確認せよ。これを読む者が急使として走るために。』」(ハバクク2・2)

 聖書が書かれたのは、旧約聖書で紀元前1,500年ごろから紀元前400年ごろ、新約聖書で紀元40年ごろから紀元90年ごろまで、と言われます。旧約聖書はヘブル語、一部アラム語、新約聖書はギリシャ語(ソクラテスやプラトンといった古典ギリシャ語ではなくコイネー。コイネーは共通のという意味で、紀元前4世紀末から紀元6世紀半ばごろまで使われていたギリシャ語の共通語。現代ギリシャ語のもととなったもの)で書かれています。
 聖書は写本で残っているだけで、オリジナルのものは現存していません。いま読んでいる聖書は、その写本からおそらく元の聖書はこういうものだったであろう、というものがつくられて(校訂本というそうです)、それを各国の言葉に翻訳して読んでいます。フランシスコ会聖書研究所が発行している『原文校訂による口語訳聖書』というのがありますが、ちゃんとした聖書はみな原文校訂によるものです。新改訳も共同訳も口語訳や文語訳も、みなこの校訂本から直接翻訳されています。つまり英語の聖書からの翻訳ではありません。ギデオンなどが日本語と英語の並行して書かれている聖書を発行していますが、校訂本から直接訳された日本語と英語の聖書が記されています。
 自由に聖書を読めることを感謝したいと思います。それは多くの先輩の信仰者が、写本を作成し残してくださったからです。教会が先か聖書が先か、という議論がありますが、今のような姿ではなかったかもしれませんが、聖書は教会において書かれました。教会を離れてキリスト教信仰は成り立たないのです。
「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。」(ヨハネ15・5)
「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」(エペソ1・23)


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