主日礼拝説教 2023年9月3日(日)

  • 主日礼拝説教:2023年9月3日(日)
  • 聖書箇所:マタイの福音書22章1~14節
  • 説教題:神の招きに答えよう

●説教音声

●暗唱聖句

招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。

マタイの福音書22章14節

●説教要旨

◎主に答えること~招きと選び

イエスさまは、引き続き「彼ら」すなわち祭司長たちに向かって「たとえ」を話されます。王が自分の王子のために披露宴を催しました。披露宴の準備が整ったので、かねてより招待状を出していた人たちに、どうぞおいでください、としもべを遣わすと、招待されていた人たちは、無視したり、自分の用事に出かけてしまったり、あげくの果てには、知らせに来た王のしもべを侮辱したり殺したりしてしまった。王は怒って軍隊を派遣して、その招待を断った人たちを滅ぼしてしまいました、というのです。
招待状をもらっていた人たちは、自らの都合を優先させ、王の招待を断ってしまった。その結果、滅ぼされてしまったのです。選びの民であるイスラエルは、イエスさまが来られて神の国が近づいた、悔い改めて、イエスさまを信じよ、と語られても、「自らのこと」を優先し、そのイエスさまを殺してしまいます。そこには、滅びが待っているだけではないだろうか、ということでしょう。
たとえは続きます。披露宴に招待した人はふさわしくなかったのでふさわしい人たちを招こう。通りに出て行って「良い人も悪い人も」すなわち、ユダヤ人もユダヤ人でない人たちも、祭司長や律法学者も、取税人や遊女たちも、誰も分け隔てなく招きなさい、と王はしもべを遣わしました。すると披露宴は客でいっぱいになりました。
王が披露宴の参加者を見渡すと一人だけ礼服を着ていない者がいました。一説によると、婚礼の披露宴に招待された人の礼服は、主催側である王のほうで準備をした、ということがあったそうです。集まった人たちは宴会場に入る前に、その礼服を着せていただいて宴会場に入ったのです。しかし礼服を身につけなかった者が一人いたのです。自分が着ている服で十分と思ったのでしょうか。
王は問いました。「友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入ってきたのか」。彼は黙っていました。すると彼は宴会場から放り出されてしまった、というのです。

このたとえを締めくくるようにイエスさまは言われました。「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです」(14)。
招かれる人。婚礼の披露宴に招かれるように、神さまによって私たちは皆招かれています。天の御国に生きるように、神さまのご支配の中、幸せに生きるようにと招かれているのです。しかしその招きに応答する人は少ないのだ、と言われました。
応答する人は少ないのです。それをイエスさまは「選ばれる人は少ない」と語られました。応答する、というのは人間のすることです。それに対して「選ばれる人」の「選ぶ」は神さまのなさることです。「応答」と「選び」。その二つをまるで一つのことのようにイエスさまは語っておられます。私が応答した、信じた、決心した、という私の信仰的な行為は、ただ私の成したことというだけでなく、それは同時に神さまが選んでくださったことである、というのです。
私たちが、教会に来る、礼拝に参加する、あるときに洗礼の決意をする、そうして信仰に生きる、教会生活を送る、ということも、神さまの選びの中の出来事なのです。

◎神の備えてくださった義の衣を着る

王子の披露宴には「良い人でも悪い人でも」招かれました。救いの門に、倫理道徳的な審査基準はありません。人種も、主義主張も、立場やそれまでの行いもいっさいを越えて、すべての人が招かれています。そして選びにあずかることができるのです。しかしそこで唯一問われることがあります。

「友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入ってきたのか」(12)。

神さまが着せてくださる礼服を身につけるということが、王子の披露宴にいることの条件です。王が支給してくださった礼服ですから安心して披露宴にいることができます。もし自分で準備したものであれば、自分が整え続けていなければなりません。

「キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。」(ガラテヤ3・27)

イエスさまを信じて救われるということは、イエスさまを「着る」ことです。それは神さまが与えて下さる義の衣を着ることです。イエスさまが十字架と復活によって成し遂げてくださった神さまの愛と義を着ることです。イエスさまの十字架と復活の御業によって贖われたことを信じていること、自分の義ではなくイエスさまの義によって生きようとしていること。それが救われて生きるということなのです。

「あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。」(コロサイ3・9,10)

キリストを着た者は、その着せていただいた服に似合った者、すなわちキリストに似た者と日々変えられていきます。着せていただいている礼服を喜ぶようにイエスさまを喜び、イエスさまを見上げ、イエスさまのお言葉に親しみ、イエスさまとともに歩む。自分の義に生きるのではなく、神さまの義に生きる。そうして私たちはイエスさまに似た者、神さまのかたちにしたがって新しくされ続けます。

●祈り

あなたの招きに素直に答える者としてください。その応答の中に、あなたの選びの御手があることを感謝します。あなたが成してくださった義、その義に新しく生き続けることができるように守ってください。


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