主日礼拝説教 2023年8月13日(日)

  • 主日礼拝説教:2023年8月13日(日)
  • 聖書箇所:マタイの福音書21章28~32節
  • 説教題:天の父の願い

●説教音声

●みことば

イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。

マタイの福音書21章31節

●みことばの一滴

◎言葉と行動

祭司長たちは自分たちの権威を守るために、イエスさまに対して答えませんでした。その彼らに向かってイエスさまは「わたしも何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません」と答えられました。この対話はそこで終わりませんでした。イエスさまは彼らに向かって一つのたとえ話をされました。父と二人の息子のたとえ話です。
ぶどう園に行って働いてくれ、と願う父に対して、兄は、行きたくない、と答えたものの後になって思い直し出かけて行きました。弟のほうは、行きます、と答えたにも関わらず行きませんでした。兄と弟。どちらが父の願ったとおりにしたのか。
権威については答えることをしなかった祭司長たちでしたが、今度は答えました。「兄です」。
このたとえ話は、行くと言っておきながら行かなかった弟の言行不一致を責めていることではありません。あるいは言葉よりも行動が大切である、ということが言われているのでもありません。「行かないと言っておきながら行った兄」、「行くと言っておきながら行かなかった弟」。話の可能性としては、「行かないと言ってその言葉通りいかなかった者」、「行くといってその通りに行った者」の四種類が登場すべきではないかと思いますが、このたとえ話には二種類しか登場しません。いずれも言葉と行動が一致しない人たちです。人間はつきつめればみなこの二種類なのではないか、と言われているようです。
言葉と行いが一致しない。人間はみなそういう存在である。行かないと言ったけれども、後で思いなおして行くことにした兄のように、いつでもその行動に思い直しが起こるのではないか。逆に行くと言っておきながら、その言葉の通りに生きることが出来なかったことも数多くあるのではないか。
いったいどちらが父の願いに生きることができたのでしょう。父の願いに生きるということはいったいどういうことなのでしょう。

◎天の父の願いに生きる幸い

祭司長たちは、兄です、と答えました。しかしイエスさまは、その答えが正しいとも間違っているともお答えになられず、「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります」と言われました。なぜそうなのか。それは、祭司長たちはヨハネの示した義の道、すなわち悔い改めの道を信じなかった、それに対して取税人たちや遊女たちは信じたからである、と。
祭司長たちよりも、取税人や遊女たちのほうがよい行いに生きたわけではありません。むしろ行いから言えば、祭司長たちのほうがよほど立派な生き方をしていたことでしょう。取税人や遊女たちは、ただ、ヨハネのバプテスマに神さまの権威を見、それを信じて、悔い改めたのです。そうして神さまが義としてくださることを信じたのです。
それに対して祭司長たちは、自分たちの権威を守るために悔い改めることをしませんでした。さらには取税人たちや遊女たちが悔い改めて信じたのを見ても、思い直して信じることをしませんでした。かたくなに自分で自分の義を守らなければならないとの思いに縛られていたのです。自分たちの義を守るために自由に思い直すことをしなかったのです。

取税人や遊女たちは、そもそも自分たちの中に義を持たなかったのかもしれません。あるいは自分たちなりの義を持っていたかもしれませんが、それを守らなければならないと縛られることなく、思い直す自由を持ったのです。父の願いとは、自分の義を守ることから自由にされ、神さまが義としてくださることを信じることです。神さまの愛は変わることがないのだから、その神さまを信じて、神さまのもとに帰っていこう、とすることです。

「わたしも何の権威によってこれらのことをするのかあなたがたに言いません」と言われたイエスさまでしたが、それは祭司長たちを拒絶されたのではなく、むしろ神の権威を本当に知ってほしいと願っておられたのだと思います。自分で自分の義を成り立たせなければならないという不自由な生き方ではなく、人間はみな言行不一致であやふやな者なのだから、そのあやふやな自分自身を神さまに委ねよう、神さまが義としてくださることにお任せしようと、招いていてくださるのです。この招きに答える者こそ、神の国に入る者とされるのです。神さまの豊かなご支配の中に平安に生きる者とされるのです。

●祈り

義人はいないと言われたにもかかわらず、自分の義を守ろうとする罪を赦してください。あなたの前に、ありのままに自らをお委ねすることができますように。自分の義を守ろうとすることから自由にされ、どんなときにも、思い直す心を与えてくださり、あなたの方向を向くことができますように導いてください。


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