聖書愛読より 「ヨベルの年」 ルカ10・25~37(週報2023年8月13日号)

牧会ずいそう 週報2023年8月13日号

聖書愛読より 「ヨベルの年」 ルカ10・25~37

「・・・この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」
彼は言った。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。」
(ルカ10・36,37)

 永遠の命を受け継ぐためには、神を愛すること、隣人を自分自身のように愛すること。では私の隣人とは誰か、だれが私の隣人なのか。イエスさまの所へやってきた律法の専門家のその問いにイエスさまは「誰が隣人のなったと思うか」と問い返されました。自分にとって「隣人は誰か」と問ううちは隣人を愛することが出来ないのです。自らが「隣人になる」という覚悟があってはじめて隣人を愛するということが生まれるのだと思います。
 律法の専門家は、隣人になったのはあわれみ深い行いをした人である、と答えることになりました。隣人になる、ということは、あわれみ深い行いをする人、あわれみ深くある人となることです。
 あわれむことは、かわいそうに思うことではありません。かわいそうに思うことは、距離を取りながら見下していることです。それに対してあわれむことは、同じところに立ってともに苦しむことから生まれます。イエスさまは天より下り、私たちが生きるこの地に下って来てくださいました。神さまのあわれみにあずかった者は、あわれみに生きるようにと招かれています。


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