聖書愛読より 「滅びの中にも」 マルコ8・31~9・1(週報2023年7月30日号)

牧会ずいそう 週報2023年7月30日号

聖書愛読より 「滅びの中にも」 マルコ8・31~9・1

だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。
(マルコ8・34~36)

 「自分のいのちを失ったら、何の益があるか」というのですから、自分のいのちは最も大切なものである、ということが語られています。しかし大切だからといって、自分のいのちを最優先に考え、それを救おうとするならば、逆に失ってしまうのだ、といいます。ですから、本当に自分のいのちを得るためには、自分を失わなければならない、自分を失うとは、自分を捨て、自分の十字架を負うことである、といいます。おおよそこの世の中のものは、捨ててしまうならば失ってしまうものです。お金も使えばなくなります。体力も使えば使うほど消費して失ってしまいます。しかしいのちは不思議なもので、救おうとすれば失ってしまう、逆に失うならば、救うことが出来る、というのです。もしいのちが救われていない、いのちが失われているような感じがする、ということであれば、もしかすると自分のいのちを自分が握りしめているからなのかもしれません。
 自分のいのちを本当に救うため、生かすために、自分のいのちを捨てること、失うこと。それは、自分の十字架を負うことであるといいます。だれかの十字架がかっこいいからといて背負うことではありません。自分の十字架、すなわち私だけに与えられている十字架があるのです。それを背負うところにいのちを救う道があり、その道こそイエスさまに従う素晴らしい道なのです。


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