- 聖書箇所:2023年7月23日(日)
- 説教題:テモテへの手紙第一1章8~11節
- 説教題:律法を適切に用いて
●説教音声
●暗唱聖句
私たちは知っています。律法は、次のことを知っていて適切に用いるなら、良いものです。
テモテへの手紙第一1章8節
●説教要旨
◎取り扱い注意!
パウロは、律法の教師でありたいと望みながら、違った教えを説く「ある人たち」のことを指摘した後、改めて、律法について述べています。それは、律法が良いものだということです。現在の私たちは、「律法主義」という言葉の影響もあってか、律法そのものについても、否定的なイメージを持つことが多いかも知れません。しかし、パウロが言っているのは、反対に、律法が良いものだということです。
律法は、神様がご自分の民として選ばれたイスラエルの人々に与えられた言葉です。神様の一方的な恵みによって、神様の民とされながらも、右も左も分からないイスラエルの人々が、神様と共に新しく生きるために、神様ご自身から与えられた言葉、それが律法です。律法が、神様の言葉であるなら、それは、良いものであるに決まっていると言えるのかも知れません。
しかし、パウロは、単純に、律法が良いと言っているのではありません。良いものであるけれども、注意が必要だということです。「取り扱い注意文書」とでも言えるでしょうか。実際に、律法の教師でありたいと望んでいた「ある人たち」は、律法の取り扱いを間違って、教会を混乱に招いていました。
それでは、どのような注意が必要なのでしょうか。パウロは、律法について、知っておくべきことを指摘しています。それは、律法が「正しい人」のためにあるのではないということです。律法は、正しい人のためではなく、正しくない人のためにあるということです。
律法は取り扱い注意文書です。特別に「律法」と呼ばれる箇所だけではなくて、新約聖書も含めた聖書全体が、取り扱い注意文書です。しかし、それは、律法や聖書に問題があるということではありません。反対に、問題は、律法や聖書を取り扱う私たちの側にあるということです。あるいは、問題のある私たちの方が、「取り扱い注意な人々」と言ってもいいのかも知れません。しかし、律法や聖書全体は、その取扱い注意な私たちに与えられたということです。そして、それは、神様が私たちを愛されたからに他ならないでしょう。神様が、取り扱い注意な私たちを愛してくださった、取り扱い注意な私たちと共に生きることを願ってくださった、だからこそ、聖書は私たちに与えられたということです。
◎栄光の福音に照らして
正しくない人のためにあるという律法の大切な役割の一つは、罪が明らかにされることです。律法は罪を問うということです。しかし、その罪を解決できる人は誰もいません。解決できるのは神様だけです。だからこそ、律法には、同時に、赦しの道が示されています。神様は、人が、罪の故に死ぬことではなくて、赦されて生きることを願っていてくださるからです。そして、大切なことは、自分の罪を嘆き、罪を赦してくださる神様の愛を受け取って、神様のもとに留まることです。それは、自分を「正しい」と誇る人には、できないことです。求められているのは、神様の前で謙遜であることです。
律法の中で示された赦しの道は、後に、完全な形で明らかにされました。それが、イエス・キリストです。イエス・キリストは、私たちの罪を背負って、十字架の死と復活の御業を成し遂げてくださいました。私たちが、罪を赦されて、神様と共に新しく生きる道を開いてくださいました。律法は、そのイエス・キリストの救いを指し示しています。律法は、そのイエス・キリストという福音の光の下で、適切に用いる必要があるということです。
私たちはイエス・キリストを信じて救われます。律法を行ってではありません。だからと言って、それは、信仰によって、律法が意味のないものになったということではありません。
救いとは、神様と共に生きることです。神様を愛して生きることです。そして、そのためには、神様の御心を知る必要があります。律法は、その神様の御心を教えてくれます。神様と共に生きる新しい道を教えてくれます。そして、私たちは、律法に込められた神様の御心を、イエス・キリストを通して受け取ります。特別に「律法」と呼ばれる箇所だけではありません。聖書のどこを読む時も同じです。大切なことは、神様の言葉の中で、イエス・キリストと出会うことです。罪人の自分を愛して、十字架にかかってくださったイエス・キリストと出会うことです。そして、イエス・キリストを通して、神様の言葉を受け取る時、私たちは、罪人でありながら、神様に愛されている者として、神様との豊かな交わりの中に生きることができます。
新しい一週間も、神様を愛するからこそ、神様と共に生きることを願って、神様の言葉に耳を傾けていきたいと思います。
●祈り
罪人の私たちを愛してくださっている神様に感謝します。新しく始まる一週間も、しっかりと神様の言葉に耳を傾けることができますように。神様の言葉の中で、イエス・キリストとお出会いすることができますように。赦された罪人であることを覚えながら、感謝して、謙遜に、歩むことができるように助けてください。