聖書愛読より 「祈り」 マタイ6・5~8(週報2023年7月16日号)

牧会ずいそう 週報2023年7月16日号

聖書愛読より 「祈り」 マタイ6・5~8

あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
(マタイ6・6)

 私たちが信じる神さまは全能なるお方であり、十字架に架かるほどに私たちを愛していてくださる方です。復活し今も、この先も永遠にともにいてくださるお方です。
 その神さまに祈ること。そしてその祈りに神さまが応えてくださる、あるいは報いてくださること。私たちの祈りが、報いとなって返ってくる、というのです。そうすると、途端に私たちは自分の祈りを測り始めます。どれだけ祈ったか。どのように祈ったか。果たして熱心さは十分であったか。果ては、祈りが聞かれないのは、祈りの時間が十分ではないからだ。熱心さや確信が足りなかったからだ、と。
 しかしイエスさまは、祈るときは奥まった部屋に入り、戸を閉めよ、と言われました。それは一人静かな場所で祈りなさい、ということです。そして同時に、隠れたところにおられる神さまのみを見上げなさい、ということでしょう。
 戸を閉じてしまうならば、そこは真っ暗闇です。何も見えません。自分さえも見えません。私の祈りはどうであっただろうか、などという「私自身」も「見えない」のです。そうしてこそまことの神さまにお出会いできるのです。そこでこそ真実の祈りは可能となるのです。あらゆることを、そして自分さえも神さまに委ねてしまうところでこそ、真実の祈りがささげられるのです。


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