聖書愛読より 「勧め」 申命記32・45~47(週報2023年7月2日号)

牧会ずいそう 週報2023年7月2日号
2023年06月28日(水)

聖書愛読より 「勧め」 申命記32・45~47

「モーセはイスラエル全体にこのことばをみな語り終えて、彼らに言った。『あなたがたは、私が今日あなたがたを戒める、このすべてのことばを心にとどめなさい。それをあなたがたの子どもたちに命じて、このみおしえのすべてのことばを守り行わせなさい。これは、あなたがたにとって空虚なことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。このことばによって、ヨルダン川を渡って行って所有しようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くことになる。』」
(申命記32・45~47)

 神さまは、約束の土地において末永く幸せに生きるためにモーセを通して「ことば」を与えてくださいました。これは、空虚なことばではなくいのちそのものである、このことばによって、あなたの日々が長く続くことになる、と。
 神さまのおことばに聞き従うこと。それが人生を祝福する。それは、みことばに聞き従った結果、人生が好転する、幸いな道を選択することができる、ということと同時に、みことばそのものがいのちであり、みことばが存在するところに神さまの祝福がもたらされる、ということでもあると思います。
 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1・14)
 みことばであるイエスさまご自身が私たちとともにいてくださる、ということが私たちの人生の幸いとなるのです。みことばが語られる、みことばが読まれる、みことばが聞かれる、そのところに、主がともにいてくださる。神さまの幸いが生まれている。なによりも礼拝において幸いが始まっています。分かっても分からなくても、みことばが存在するところにある神さまの幸いに、みんな与ることができるのです。


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