主日礼拝説教 2023年4月23日(日)

  • 聖書箇所:2023年4月23日(日)
  • 説教題:テモテへの手紙第一1章1~2節
  • 説教題:神様の命令と憐れみ

●説教音声

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●みことば

父なる神と私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。

テモテへの手紙第一1章2節

●みことばの一滴

◎命令によって

パウロは、テモテに手紙を書いている自分のことを「使徒」と紹介しています。使徒というのは、福音宣教の使命を帯びて派遣された人のことですが、パウロとテモテの間では何の説明も要らない言葉でしょう。パウロは、使徒がどういうものであるのかについては何も説明していません。しかし、自分が使徒となった経緯、あるいは根拠について、簡潔に説明しています。それは、「私たちの救い主である神と、私たちの望みであるキリスト・イエスの命令によって」ということです。パウロは、自分の願いや能力によってでもなく、誰かから頼まれたからでもなく、神様ご自身の命令によって使徒になったということです。そして、それは、テモテに向けられた言葉でもあると言えるでしょうか。「あなたは神様の命令によって福音宣教の働きに召されているんだよ」ということです。

テモテへの手紙をずっと見ていくと、テモテはたくさんの課題や問題に悩まされていたことを想像することになりますが、パウロはそのテモテに対して、「ゴチャゴチャ言わずに、神様の命令に従って働きなさい」ということを言っているのでしょうか。恐らくはそういうことではないでしょう。そうではなくて、テモテは神様の命令という確かな土台の上で働いているということです。

神様の命令(言葉)は、聞いても聞かなくてもいい、従っても従わなくてもいいというようなものではないでしょう。神様の命令は絶対です。

しかし、だからと言って、それは、神様の命令が私たちの人生をガチガチに縛りつけるということを意味しているのではありません。神様の命令は、私たちの興味や関心、個性を無視して、私たちの自由を奪って、私たちに何かを強制するようなものではないでしょう。そうではなくて、私たちの歩みを導く確かな土台だということです。そして、その神様の命令という確かな土台の上に立たせていただくことが、信仰者の一人一人に与えられている幸いです。大切なことは、その確かな土台の上にいつも立たせていただくことです。

私たちはどこに立っているでしょうか。

◎恵みとあわれみと平安が

パウロは、どの手紙でも、手紙を受け取る相手を祝福しています。その祝福の言葉は恵みと平安です。しかし、テモテへの手紙だけは、そこに「あわれみ」という言葉が加わります。テモテへの手紙においては、憐れみが特別に強調されていると言ってもいいのかも知れません。

憐れみというのは、どのようなものでしょうか。それは、同情であり、憐憫であり、慈悲です。しかし、神様の憐れみはそれ以上のものです。それは、一言でまとめるならば、ご自分の民に対する真実の愛とでも言えるでしょうか。神様の憐れみは、神様と私たちとの関係を根本的に支えるものです。

旧約聖書に描かれたイスラエルの民は、神様の民として選ばれた人々だったにもかかわらず、神様だけを愛すると誓ったにもかかわらず、神様を何度も裏切りました。しかし、それでも、神様とイスラエルの民との関係は崩れませんでした。なぜなら、神様が憐れみ深い方だったからです。神様がイスラエルの民を愛し続けてくださったからです。そこには、神様の赦しと忍耐がありました。

テモテはたくさんの課題や問題に直面していました。もしかしたら、テモテは、山積みとなっている課題や問題の前で、途方に暮れていたかも知れません。テモテへの第二の手紙の方では、テモテは臆病になっていたことがほのめかされています。そして、そんなテモテに伝えたパウロの言葉が神様の憐れみです。テモテを働き人として選ばれた神様ご自身が、共にいてくださるということです。神様ご自身が、テモテの働きを見守っていてくださるのであり、働き人としてのテモテを辛抱強く整えていてくださるということです。

神様の憐れみは、テモテのような、特別な働き人だけに与えられているものではありません。私たち一人一人に与えられているものです。神様を必要とする私たち、しかしながら、神様を必要としていることすら気づいていない私たち、そんな罪人の私たち一人一人に、神様の憐れみは与えられています。その憐れみによって、私たちは、主イエス・キリストを通して、救いに導かれたのであり、神様と共に生きる歩みが支えられています。

●祈り

いつも神様の憐れみに支えられていることを覚えて感謝する者であらせてください。謙遜に神様の言葉に耳を傾けて生きることができますように。


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