聖書愛読より 「神の民」 出エジプト3・13~15(週報2023年4月16日号)

牧会ずいそう 週報2023年4月16日号
2023年04月12日(水)

聖書愛読より 「神の民」 出エジプト3・13~15

神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエルの子らに、こう言わなければならない。『わたしはある』という方が私をあなたがたのところに遣わされた、と。」・・・これが代々にわたり、わたしの呼び名である。

(出エジプト3・14,15)

 神さまのお名前はなんであるのか。聖書は「わたしは『わたしはある』という者である」と語ります。この不思議な言葉は、新約聖書において「わたしはある」という言葉で繰り返し記されています。そしてそれはイエスさまご自身を指し示しています。イエスさまこそ旧約聖書の置いて現わされたまことの神ご自身なのです。
 「わたしはある」。何にも依存することなく「ある」存在。それが神である、と聖書は語るのです。私たちも含めてこの世界の被造物はすべて、それ以外の何かに依存して存在しています。私が存在するためには、両親の存在が必要です。カエルにはオタマジャクシが、木工製品には木材が、オムレツには卵が必要です。すべてのものが存在するには、そのほかの何かが必要なのです。にもかかわらずこうして存在しているということは、最初に何ものにも依存しない存在があったからでしょう。
 何ものにも依存しない存在。それが神さまです。そのお方がモーセを遣わされ、今日、私たちを生かしていてくださいます。


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