主日礼拝説教 2023年4月16日(日)召天者記念礼拝

  • 主日礼拝説教:2023年4月16日(日)
  • 聖書箇所:ピリピ人への手紙3章17節~4章1節
  • 説教題:待ち望みの生き方

●説教音声

●召天者記念礼拝の祈り

 天の父なる神さま。
 罪と滅びの中にしか生きることのできなかった私たちでした。その私たちを救うために御子イエスさまは、この地にご降誕くださいました。主は地上の歩みの最後に十字架におかかりくださいました。その十字架によって私たちの罪を贖ってくださいました。私たちの罪は、神さまの命をもってしか贖うことができない深い罪でした。しかし神さまは、ご自身の命をもって、そうまでして私たちを救いたいと願ってくださいました。私たちはそのあなたの愛によって救われました。それはまた私たちの命がどれほど大切なものであるのかを知らされたことでもありました。
 あなたは十字架の死の三日目に甦られました。その復活によって、永遠の命への道を開いてくださいました。あなたを信じ、信頼する者は、罪の一切が赦され、永遠の命をいただく者とされました。死が終わりではない、ことを知らされました。
 死が終わりではないことを知らされた今、尽きることのない命をいただいた今。私たちはこの命を大切に生きます。
 今朝は、先に天に帰られた兄弟姉妹を覚えつつ、あなたに礼拝をおささげします。兄弟姉妹たちの歩まれた人生を振り返りながら、そこになされたあなたの数々の愛の業を覚え御名を讃えます。兄弟姉妹たちから、私たちがいただいた数えきれないほどの愛の業に感謝します。兄弟姉妹たちが、あなたを信じるものに与えられた永遠の命の中に憩いを得て、まことの平安の中にあることを覚えつつ、私たちもこの地上の信仰の歩みを確かにすることができるように願います。
 しかし、地上のことばかりに終始してしまう私たちです。どうか助けてください。
 この世では旅人であることを忘れることがないように守ってください。
 私たちも、やがて天の御国に帰ります。その時、兄弟姉妹たちとの再会の希望をもって、旅人としてのいのちをしっかりと生きることできるように導いてください。
 生と死のすべての支配者であり、勝利者である主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

●みことば

しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
ピリピ人への手紙3章20節

●みことばの一滴

◎地上のことだけを考える生き方は滅びの生き方である

 地上のことだけを考える生き方。それは欲望を神として生きる生き方であり、恥ずべきものを栄光として生きる生き方です。そのような生き方の最後は滅びである、と聖書は語ります。それに対して、滅びない生き方があると聖書は語ります。

◎待ち望みの生き方

 人間は、みな神さまによって造られたものです。すべての人は神さまによって造られたのですから、みなその国籍が天にあります。国籍が天にあるにもかかわらず地上のことばかりを考えていては、よい人生を送ることはできません。滅んでしまう人生となってしまいます。
 天のことを思う。それは神さまのことを思うということです。よい人生を送るためには、自分を造ってくださった創造者にお出会いしなければなりません。また神さまは私たち一人ひとりに生きる目的を持って造ってくださいました。創造者が私たち一人ひとりに持っていてくださる目的を知らなければなりません。それを知らずによい人生を送ることはできないのです。天のことを思うとは、自分自身の造られた目的を知るということでもあります。

 自分の国籍が天にあることを知り、自らの造られた目的、生きる意味を知ること。それは、主イエス・キリストが救い主として来られるのを待ち望む生き方である、と聖書は語ります。主イエスさまが救い主として来られる、ということ。イエスさまは救い主であるので、当たり前のことかもしれませんが、救い主として、すなわち救い主らしく振舞って下さる、ということを待ち望むのです。
 私たちの生かされている世界には、紛争があり病気があり問題があります。救い主がおられるならばなぜこのようなことが起こるのか、というのが現実でしょう。しかし天のことを思う人は、救いが完成することを待ち望む人です。神さまがまことに神さまらしく振舞ってくださることを待ち望む、常に期待している、どんな時も希望を捨てない、ということでしょう。

 また天のことを思う生き方は、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださることを待ち望む生き方です。
 私たちのからだはけっして卑しいものではありません。尊いもの、大切なものです。しかしこのからだには常に限界があります。さまざまな弱さをもっています。肉体もそうですが、精神にも様々な限界や欠けがあります。しかし天のことを思う人は、自らのからだがやがて栄光のからだに変えられることを待ち望む人です。やがて変えられることを信じているので、現在の弱さをそのままに受け入れることができます。自分のからだだけではありません。ともに生きるお互いの弱さもそのままに受け入れることができる生き方が与えられるのです。

 「このように主にあって堅く立ってください」。待ち望む生き方は、しっかりと地に足をつけ、確かな生き方を私たちに与えます。困難中にも希望を持ち、弱さの中にあるお互いをそのままに受け入れるところにこそ、より良い人生、自分らしく喜びに満ちた人生を送ることができるのです。

●祈り

 神さまによって造られた私たちです。国籍が天にあることを見失うことのないように守ってください。どのような中にあっても、希望を失うことなく、弱さをそのままに受け入れあいながら、心平安に生きることができるように導いてください。


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