- 主日礼拝説教:2023年4月2日(日)
- 聖書箇所:マタイの福音書18章6~14節
- 説教題:一人を探し求める神
●説教音声
●みことば
あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。
マタイの福音書18章10節
●みことばの一滴
◎つまずかせること、つまずくこと 6~9節
「つまずかせる者」に対しての厳しい言葉が語られました。つまずきが起こることは避けられないことであるが、つまずきをもたらす者は、わざわいである、とまで言われました。「つまずく」という言葉は、もともとは「罪に誘う」という言葉です。誰かを罪に誘う、罪を犯させる、不信仰に陥らせる、さらには、不快にする、怒らせる、という意味もあるようです。
私たちの言動が、誰かを怒らせる、不快にさせてしまう、ということは、避けられないことでしょう。しかし、そのようなことができるだけないようにしなければならない、と厳しく語っておられるのだと思います。
小さい者たちをつまずかせる者に対しての厳しい言葉が書かれているのですが、8,9節では、「あなたをつまずかせるなら」と続いています。自分が誰かをつまずかせることのないように、との戒めの言葉は、自分自身がつまずいてしまうことと深くつながっているということでしょう。
私たちが誰かをつまずかせてしまうことがあったとすれば、それは、同時に、私自身がつまずいていることでもある、というのでしょう。そうであれば、誰かをできるだけつまずかせないように信仰生活を送るためには、まず私自身がつまずいてしまうことを避けなければなりません。
つまずかせてはいけないと言われたのは、「わたしを信じるこの小さい者たちの一人」でした。私たちは、イエスさまを信じる小さい者たちなのです。その「私」がつまずいてしまうことがないようにと、イエスさまは願っていてくださるのだと思います。
私がつまずかないで信仰生活を送って行くことが大切なのです。私自身が、罪に誘われない、不信仰に陥らない、不快にならない、怒らない、ということが大切なことなのです。
いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことに感謝しなさい、と第一テサロニケ5章でパウロは語りました。イエスさまに救われたことを感謝し、イエスさまがともに歩んで下さることを喜びながら生きることを、イエスさまは望んでいてくださるのです。
◎小さい者を軽んじない 10~14節
続いてイエスさまは、小さい者たちを軽んじないように気をつけよ、と語られました。小さい者たちの御使いたちは、天の父なる神さまの御顔をいつも見ているのだ、と言われました。人間には一人ひとりに天使がいて、その天使が天の父なる神さまの御顔を見ている、ということですが、少し理解しにくい言葉だと思います。小さく見える者も、みな、天の父なる神さまと無関係ではない、ということでしょう。小さい者を軽んじることは、天の父なる神さまを軽んじることだからだ、というのだと思います。
続いて、99匹と1匹の羊のたとえ話が出て来ます。ルカ15章にも記されているたとえです。
イエスさまは、一匹の羊が迷い出たならば「九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか」と問われました。果して私たちはそのようなことをするでしょうか。九十九匹と一匹を比較するならば、断然九十九匹のほうが大切なのではないでしょうか。さらにイエスさまは、「その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます」と言われますが、私たちは本当にそのように考えるでしょうか。
そもそも、迷い出てしまう、ということ自体、羊飼いからするとやっかいな羊なのではないでしょうか。羊飼いの言うことをよく聞いて、その管理の中にある九十九匹の羊の方が、有能な羊なのではないでしょうか。イエスさまはどうして「九十九匹を山に残して」「迷わなかった九十九匹の羊以上に」などと言われるのでしょうか。
小さい、というのは、比較の問題で、自分と比べて小さいということでしょう。それは自分は「大きい」としているということです。この小さい者たち、とは6節の「わたしを信じるこの小さい者」でもあります。弟子たちはイエスさまから「この小さい者たち」と呼ばれました(マタイ10章42節)。イエスさまを信じ、イエスさまに従っていこうとする者たちは、みな「小さい者」であり、かつては迷い出てしまっていた者なのです。私たちは自らを「小さい者」と考えているでしょうか。
私は小さい羊である。その私を神さまが大切にしてくださるのです。どれほど大切にしてくださるのか。有能で力があり、いわゆる大きな存在よりも、大切にしてくださる、それが、イエスさまなのです。この世の理屈には合わないかもしれません。しかし、それが神さまの愛なのです。
そのように、神さまは私たちをご覧になっていてくださるのですから、私たちはますます、つまずきを振り捨てて、喜びと感謝をもって生きていきたいと思います。そのような信仰生活こそ、また他の人々と共に生きる道を豊かにするのです。
●祈り
つまずかせてしまう罪の中にある私たちです。どうか赦してください。そのような私たちが滅びることは御心ではないと語ってくださいました。あなたが私の救いを喜んでいて下さることを感謝します。その喜びを見失うことのないように守ってください。